トップ野球少年の郷第10回
目次>野球少年の郷第10回    <第9回へ戻る  >第10回へ進む

第一章 墨谷第二中学校 谷口キャプテン編−9

C墨谷二中×青葉学院中(地区予選決勝)球場=不明

 青葉学院 202 101 005=11
 墨谷二  112 011 112=10
  勝=佐野 負=松下 本=青葉K(松下)

 力に差のある青葉学院に対し、谷口はナインに無茶とも思える特訓を課した。しかしその特訓のおかげで墨二は試合を有利に進めた。初回に二点を許すがその裏すかさず一点を返した。決勝までの試合を全て三回コールドで勝ち進んできた青葉にとっての初失点だった。

 その後は打ち合いになり八回表を終わって墨二が七対六と一点のリードで迎えた八回裏、業を煮やした青葉はピッチャーをエースの佐野に代えた。実はこれまで戦っていたのは全員二軍だったのだ。しかし、谷口の特訓は二軍ではなく一軍に照準を合わせていた。佐野の速球も苦もなく打ち返し一点を追加、リードを二点に拡げた。
 九回表、青葉は代打攻勢をかけ、選手を全員一軍に代えてきた。しかし、これには重大な問題があった。当時の中学及び高校野球のルールでは選手は一四人までしか使えないのが常識とされていた。だが、規則書には人数制限は記されておらず、谷口が抗議をするものの青葉の主張が通った。

 全員一軍の青葉打線は松下に襲いかかり、キャッチャー(名前は不明)の中越二点本塁打で逆転、その後も加点して一一対八とリードを拡げた。しかも松下が右肩に打球を受け負傷退場、他に投手がいない墨二は棄権の窮地に立たされた。しかしイガラシは小学校時代に投手経験があり、急遽マウンドに立つことになった。イガラシは速球と変化球で青葉打線を翻弄し、代わってセカンドに入った丸井のファインプレーもあって追加点を許さなかった。

 九回裏、墨二打線は佐野を捉えるも青葉一軍の見事な守備もあって二死一塁まで追い込まれた。だが、代役の丸井が佐野から三塁戦を破る安打、続くイガラシが右中間への二塁打で一点を返し、二死二、三塁。四番の谷口は佐野の変化球を捉え左翼フェンス直撃の安打を放ち一点差に迫るが、二塁走者のイガラシが本塁寸前でタッチアウト。あと一歩で墨二は破れ、青葉が全国大会出場を果たした。
 
 〈検証〉対青葉用特訓
 
 青葉学院と決勝戦で対戦するに当たって、谷口は対青葉用の特訓を行うことを決めた。ただ特訓を課すだけでなく、ナインにちゃんと青葉の練習を見せている。青葉に在籍経験のある谷口は要領もわかっており、こそこそ偵察するのではなく青葉学院野球部部長に頼んで堂々と見学させてもらっている。普通ならこんなこと頼めるはずもないが、青葉の部長は地区予選で負けることなどツユほども考えておらず、快く見学を許可した。余談だが、青葉の部長といえばサングラスがトレードマークだが、このころの部長は普通のメガネ姿というあとから考えたら貴重な姿(特に目)を見ることができる。ちなみにこの部長、二軍の補欠だった谷口のことを全く憶えていない(キ二巻八九頁)。

 青葉の練習を見せたあと、谷口は朝四時開始の特訓スケジュールを発表する。しかもシートノックとフリーバッティングは定位置の半分の距離で行うという、実にハードなものだった(キ二巻九七頁)。ナインは悲鳴を上げるが、なんとかこなせるようになると、距離をさらに三分の一に縮めた。ケガ人が続出し、ナインは谷口に反感を覚え抗議しようとするが、彼らが見たのは、練習後に御岳神社で父親相手に守備マシンで特訓している谷口の姿だった。これにはナインも何も言えず、再び谷口についていこうと決心した。実はこのとき、レギュラーから外されていた丸井は退部しようとしていたが、谷口の姿を見て退部届を破り捨てた(キ二巻一二一頁)。『キャプテン』序盤における名シーンのひとつだろう。

 ところでのちに墨二名物となるこの三分の一ノックであるが、どれぐらいの効果があるのだろう。いうまでもなく青葉の強い打球に対抗するためだが、短い距離で打つ打球と、正規の距離での強い打球では質が違う。ライナーなら効果があるだろうが、ゴロではどの程度の効果があるかは疑問だ。三分の一の距離ならせいぜいワンバウンド、ややこしい打球も少ない。さらにノックによる打球と、投手の球を打ち返した打球では本質的に違う。投手から打ち返された打球はかなりのスピンがかかっており、バウンドするたびにスピードが増していく。一方のノックによる打球はスピンが少なく、素直なバウンドしかしない。いいノッカーというのは単に思ったところに強い打球を打つだけでなく、いかに実戦に近い打球を打てるかで決まる。では三分の一ノックが全く効果がないのかといえばそういうわけでもなく、強い打球に慣れること、恐怖心を克服することには役立つだろう。でも、どうせならノックをするよりも父親の造った守備マシンを使った方が良かったのではないか。これなら一年生でも操作できるだろうし、谷口も守備につくことができる。ナインにいらぬ反発を招くこともなかっただろう。ナインは谷口がノックだけして自分は全然練習しないと思い込んでいたのだ(キ二巻一一三頁)。まあでも、谷口が影で特訓していたおかげで丸井が退部せずに済んだのではあるが……。

 もうひとつの特訓、三分の一フリーバッティングであるが、これは青葉のエース・佐野を想定してのものだった。青葉は地区予選では二軍しか使わないことを谷口は知っていた。しかし、この特訓をすれば試合は互角になり、青葉は佐野を投入すると読んでいたのだろう。誤算だったのは、青葉が一五人以上(作中ではしばしば「一四人以上」と表記されているが、正しくは「一五人以上」である)の選手を使ってきたことであるが。それにしても、三分の一というのも無茶な距離だ。佐野の球がどれだけ速くても中学生なのでせいぜい一三〇キロ。それで計算すると、松下の球はその三分の一で約四三キロ。大リーグボール三号もビックリの遅さである。このスピードでマウンドからホームプレートに届かせることすら困難のように思える。それとも佐野は二〇〇キロ以上の球を投げていたのだろうか。それはともかく、松下の打撃練習の時は誰が投げていたのだろうかと気になる。まだイガラシが投手もできるということは誰も知らなかったので、投手は松下だけだったはずである。松下の時だけ他の人が四分の一ぐらいの距離から投げていたのであろうか。

 ところで、もうひとつ気になるのが特訓のスケジュールだ。朝四時に始まって午後七時五〇分に終わっているが、朝八時から午後三時までポーンと抜けている(キ二巻九七頁)。これは明らかに授業によるものと思われるが、だとしたら地区予選が行われていたのは夏休み中ではないということになる。たしかに、準決勝が終わってから決勝まで間が合ったようで、だからこそ特訓ができたのであるが、夏休み中に大会があったのなら準決勝の翌日に決勝戦が行われるのが普通であろう。そういえば、江田川中の項で制服について書いたが、一回戦の時は冬服だった。二回戦からは夏服になっており、ひょっとするとこの大会は長いスパンで行われているのではないか。谷口が転校してきたばかりのとき、墨二の生徒が「こいつは春の地区予選が楽しみだぜ」と言っていることから(キ一巻二五頁)、春から大会が始まっていると考えた方が妥当である。もっとも、そうだとすれば翌年から大会運営のシステムが大幅に変わったようであるが……。

 仮に夏休み前に予選が行われていたとしても、日曜日に試合があったと考えられるので、準決勝と決勝の間は一週間だけだったのだろう。そのうち少なくとも二日は普通の練習と青葉への見学に充てているから、事実上特訓に費やしたのは五日だけということになる。僅か五日間で墨二を青葉の一軍と互角に戦えるチームに育てたのだから、谷口の手腕には恐れ入る。逆に言えば、青葉学院という存在があったからこそ、のちの強豪・墨谷二中というチームが誕生したともいえる。

inserted by FC2 system