トップ野球少年の郷第17回
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第二章 墨谷高等学校 谷口一年生編(プレイボール 一〜七巻)−1

 ☆戦績

  @東京大会一回戦 ○墨谷 2―1 京 成 ● 勝=中山 負=京成@ 
  A東京大会二回戦 ○墨谷 ?―? 城 東 ● 勝=中山 負=松下
  B東京大会三回戦 ●墨谷 10―12 東都実業○ 勝=中尾 負=中山

 ☆主なメンバー
  墨谷高
   中山(二年)投手、三塁手・右投右打 墨高のエース。松下よりも球が遅い。
   田所(三年)捕手・右投右打 主将。オッチョコチョイだが、面倒見も良い。
   佐々木(三年)一塁手・左投左打 墨高唯一の左打者。
   松本(三年)二塁手・右投右打 田所にいつも怒鳴られている。
   谷口タカオ(一年)三塁手、投手・右投右打 一年生四番。リリーフも務める。
   太田(二年)遊撃手・右投右打 一〇〇m一二秒台の俊足。
   山口(二年)左翼手、三塁手 パワー抜群。
   村松(三年)中堅手・右投右打 バント嫌い。
   山本(二年)右翼手・右投右打 不動の一番打者。一言多い性格。
   横井(一年)控え・右投右打 ノッカーも務める。
   戸室裕之(一年)控え・右投右打 センターを守っていたらしい。
  他の学校
   松下(一年)投手・右投右打 城東高の控え投手。中学時代より球が速くなった。
   中尾(三年)投手・左投右打 東実高のエース。プロから狙われる本格派左腕。

 ○谷口、墨谷高校サッカー部に入部

 墨谷第二中学を卒業した谷口タカオは、東京都立墨谷高校に進学した。しかし、中学時代に骨折した右手人差し指が曲がったままのため、野球は断念した。そんな谷口の唯一の楽しみは野球部の練習を見ることだった。
 見かねたサッカー部のキャプテン・相木はそんな谷口にサッカー部入りを勧め、谷口も了承した。

 サッカーに関しては素人の谷口だったが、野球で鍛えた運動神経と持ち前の努力でたちまち頭角を現した。しかし、サッカーボールが野球の球に見えてしまうなど、野球への思いをなかなか断ち切ることができなかった。
 「シゴキの今野」の異名を持つ今野の猛特訓にも耐え、遂にはレギュラーの座を奪うまでに成長したが、つい野球に目が行ってしまう谷口を相木は許せず、谷口を殴り飛ばす。この一件以来、谷口はサッカーに真っすぐ向かうかに見えた。

 しかし相木と今野は、谷口が少年野球の審判をやっている姿を偶然見かけ、谷口が本当に野球が好きなことがわかり、野球部に入れるようにキャプテンの田所にかけあう。
 野球部に入部が決まり、ボールの投げられない谷口は、守備は無理でも代打として期待された。谷口は初めて打つ硬球にもすぐに慣れ、その打棒で周囲を驚かせた。
 そして、全国高校野球選手権東京大会を迎えた。

 〈検証〉谷口、野球を断念?

 中学時代、全国大会決勝で右手人差し指を骨折した谷口は、指が曲がったまま伸びないため、ボールを投げられないので野球を諦める。たしかにボールを投げられなければ野球ができないので諦めるというのはわかる。しかし谷口は指が元に戻る努力をしたのだろうか?

 実は、なんにもしなかったのだ。

 そのことが明らかになるのは、なんと半年後のことだった。その頃は既に野球部に入部しており、肩を痛めて「広谷医院」という病院に行ったところ、指のことを尋ねられ、指を医者には診てもらっていないと谷口は答えた(プ七巻一六一頁)。しかも広谷医院の先生は、手術すれば元に戻るとアッサリ言った(プ七巻一六二頁)。
 なんと谷口は前年夏に骨折して以来、指を放置していたのだ。

 あれだけ野球が好きだった谷口がなぜ真剣に指を治そうとしなかったのか。なぜあっさりと野球を諦めることができたのだろうか。そもそも、試合中はどれだけ負けていても絶対に諦めないのが谷口ではなかったのか。
 高校進学後、通学途中に偶然イガラシと会い、指のことを尋ねられたとき、「だいぶよくなってんだ」と答えているが(プ一巻九頁)、医者にも行っていないのにどうして「よくなっている」とわかるのだろう。単に後輩に対する気遣いだったに過ぎないのか。

 そもそも、周囲は医者に行くことを勧めなかったのか。谷口はいくら周りが勧めても医者に行くことを極端に嫌がるガンコ親父のような気性だったとか。その割には田所とは素直に医者に行っている(プ七巻一五三頁)。
 ひとつ考えられるのが、実は曲がった指を治すのは簡単ではないということを知っていたか、周りの人にそう言われたかもしれないということだ。

 広谷医院の先生は、手術をすればワケはない、と断言しているが、実は曲がった指を元に戻すのはそう簡単ではないのだそうだ。知り合いの整形外科の先生に聞いてみると、たとえ真っすぐになっても可動域が充分戻らないことも非常に多く、結構難しい手術だと言っていた。もちろん腕のいい、手の手術に長けた整形外科医が手術すると元に戻ることもあるそうだが。

 そう考えると、谷口の指を見ただけで(レントゲンすら撮っていない)手術すれば元通りになる、と簡単に言ったこの広谷医院の先生は、相当腕のいい整形外科医だったに違いない。
 もうひとつ考えられるのが、谷口は燃え尽き症候群に陥ったのではないかということだ。
 思わぬキャプテンに任命され、ナインを引っ張り、猛練習に明け暮れて、指を骨折してまで掴んだ全国優勝の後になると、プッツリ緊張の糸が切れたのかもしれない。当分、野球はもういい、と思っても不思議ではない。谷口とて人間である。無名の墨谷二中を全国優勝に導いた実績から、周囲は谷口に対して過剰な期待をかけるだろう。そのことがわかっていた谷口は考えただけでも疲れたのではないか。指が曲がったままなら、周囲も諦めてくれる。だから医者には行く気になれなかったのかもしれない。

 高校進学後はどこのクラブにも入らず、野球部の練習を見るだけが楽しみになっているが、その姿に悲壮感はなく実に楽しそうなのだ(プ一巻一六頁)。しかも、目の前で行われている練習は、中学時代の地獄の特訓に比べればお遊びのようだ。墨高野球部は五年前に一度勝って以来ずっと負け続けている(プ二巻一四三頁)、勝つ気もなくただ野球を楽しんでいるだけなのだ。本来、谷口はこういう野球をしたかったのではなかったか。中学のとき、青葉学院から墨谷二中に転校したのも、のびのび野球を楽しみたかったからだ(キ一巻二六頁)。それが元青葉というだけで過剰な期待をかけられ、思いは叶わなくなった。もう期待をかけられるのはウンザリだと思っていたのかもしれない。

 それに、今の自分が墨高野球部に入ったらどうなるか、本能的に察知していたのではないか。最初は楽しむつもりで入部しても、やがてムキになってチームを強化しようとするだろう。もう谷口は勝つ喜びを知ってしまったのだ。そしてそれを成し遂げるためには、また中学のときのような特訓を課さなくてはならない。燃え尽き症候群だったとすれば、そう考えるだけで疲れてしまうに違いない。
 ちなみに、アニメ版『キャプテン』では、谷口はちゃんと指を医者に診てもらい、この指は完治しないと宣告された。そしてアニメ版『プレイボール』では、医者に「手術すれば治るかもしれないが、一生指が動かなくなるかもしれない」と言われて大いに悩み、結局手術する。

 〈検証〉サッカーへの転向

 毎日野球部の練習を見学している谷口を見かねたのか、サッカー部のキャプテンの相木が声をかけた。そして手の指のケガには影響されないサッカーをやらないかと勧誘する(プ一巻二三頁)。谷口は迷うものの、サッカー部入りをその場で決意する(プ一巻二七頁)。
 サッカー経験のない谷口は、キックこそ全然ダメだったものの、野球で鍛えた運動神経とボールを追う勘は周囲を見張らせ、相木に期待を抱かせる(プ一巻三六頁)。
 キックを早く上達させたい谷口は、相木からサッカーボールを借り、中学時代いつも投球練習をしていた御岳神社でキックの練習を毎晩行った。しかし、サッカーボールがどうしても野球の球に見えてしまうという亡霊に悩まされる(プ一巻四九頁)。

 これはもう、恋愛の感情によく似ている。泣く泣く別れてしまった恋人を忘れようとして、新しい恋人と付き合い始めるが、どうしても前の恋人の影を追ってしまい、余計に前の恋人が恋しくなるという図式だ。
 それでも谷口はみるみるキックを上達させ、パートナーの小山(もちろん、墨谷二中時代の小山とは別人)が谷口のキックを受ける際、全く動かなくていいほどのコントロールになっていた(プ一巻六六頁)。相木は谷口に貸していたボールがボロボロになっているのを見て、上達した理由を瞬時に理解する(プ一巻七三頁)。

 しかし、相木にはひとつの不安があった。それは、練習の前後にはいつも野球部の練習を楽しそうに見ている谷口の姿である(プ一巻七五頁)。これはもう、自分の恋人が、前の恋人の写真を眺めているところを見てしまったような気分だったのかもしれない。いつこの人が、前の恋人の元に戻ってしまうのかというような不安。
 その一方で、相木は谷口に対して絶大な期待を寄せていた。予選のレギュラーに起用しようというのである。さすがにこれは他の部員の反感を買ったが、相木は「シゴキの今野」と呼ばれる今野に谷口をレギュラーとして使えるように鍛えてくれと依頼する(プ一巻七九頁)。
 今野と谷口のマンツーマンの特訓が始まった。はじめのうちは今野のテクニックの前に全く歯が立たず、今野に怒鳴られっぱなしの谷口だったが、それでも懸命に食らいつき、今野は次第に怒鳴る余裕を失っていった。やがてシゴキはシゴキでなくなり、完全に二人の勝負になっていった。このときの今野と谷口の形相が凄い(プ一巻九五頁)。そして遂に谷口は今野側のゴールを割り(今野のオウンゴールに見える)、相木の号令によってシゴキは終了、谷口は気を失い、今野は「(谷口をレギュラーとして)オ……オレをおろしてもつかうべき………」と言ってそのまま倒れこんだ(プ一巻一〇八頁)。

 しかし、このあととんでもないことが起きる。ようやく目が醒めて、野球部の練習を楽しそうに見ている谷口を、相木が「まだ魂がうわついているようだな」と言って谷口を張り倒すのである(プ一巻一一三頁)。この張り倒し方が尋常ではない。無抵抗の谷口を手加減なしで何発も張り手で顔面をブッ叩いている(プ一巻一一四n)。
 これは一種のDV(ドメスティック・バイオレンス=恋人間などによる暴力)である。いつまでも前の恋人にこだわっている恋人が許せないわけだ。

 そう考えると相木の気持ちもわかるが(わかるのかよ)、それにしてもこんな場面を高体連に知られてしまうと、サッカー部は間違いなく出場辞退だ。しかも、今野と谷口の特訓の最中、サッカー部のグラウンドは黒山の人だかりだった(プ一巻九六頁)。その中の誰かが高体連に通報しないとも限らない。もっとも、特訓が終わるとみんな帰ってしまったのかもしれないが。

 この一件後、谷口はもう野球見学をしなくなったようで、相木や今野も安心している。部内マッチでは、谷口はキーパーが要らないほどの活躍ぶりだ(プ一巻一一七頁)。どうやら谷口はディフェンダーらしい。
 その後、相木と今野は荒川高にいる噂のフォワードの偵察に行くが(プ一巻一一九頁)、隣りのグラウンドで行われていた少年野球の審判をやっている谷口の姿を発見する(プ一巻一二二頁)。

 谷口も二人の姿に気付き、緊張が走る。谷口は相木に謝罪するが、楽しそうに少年野球の審判をしていた谷口の姿を見て、もう諦めざるを得なかった。谷口はたとえプレーできなくても、サッカーをしているよりも野球に関わっている方が楽しかったのだ(プ一巻一二八頁)。相木はもう谷口を引きとめようとはしなかった。DVはしたが、ストーカーではなかったわけだ。野球部のキャプテン・田所に話をつけて、野球部入部に協力すると約束し、谷口を子供たちが待つ少年野球の方に返した(プ一巻一三〇頁)。

 再び少年野球の審判をはじめた谷口だったが、試合の途中、相木の優しさに心を打たれたのか、再び野球ができる喜びからか、感極まってその場で泣き出した(プ一巻一三三頁)。

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