トップ野球少年の郷第18回
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第二章 墨谷高等学校 谷口一年生編(プレイボール 一〜七巻)−2

 @墨谷高×京成高(東京大会一回戦)球場=駒沢球場

 墨谷 000 000 200=2
 京成 000 000 001=1
  勝=中山 負=京成@

 東京大会一回戦、墨高は京成と対戦した。五年前に一度勝ったきりの墨高は勝てるとは露ほども思っておらず、京成も墨高を舐めていた。
 しかし、谷口は事前に京成を偵察しており、的確な指示で試合を有利に進めた。
 試合が膠着した七回表、墨高二死一、二塁のチャンスで、満を持して谷口を代打に起用した。谷口は期待に応え、走者一掃の右翼線三塁打で二点を先制した。
 谷口はそのままライトに入るが、谷口が投げられないとわかると、京成は徹底してライトを狙い打ちした。だが、谷口はこれをことごとく超美技で阻止し、やがて京成はライト狙いを諦めた。
 墨高二点リードのまま迎えた九回裏、京成は疲れの見えた中山から一点を返し、なおも一死二、三塁と一打サヨナラのチャンスを迎えた。ここで京成はライト打ちで谷口に取らせ、タッチアップで一挙に二点を奪う作戦に出た。
 墨高はこの策にまんまとはまり、ライトフライを谷口が取ったが投げる者がカバーしていない。墨高ナインは負けを覚悟したが、谷口が怒りに任せてボールを本塁方向に叩きつけた。
 これがそのまま本塁まで到達し、油断していた三塁走者が本塁寸前でタッチアウト。
 谷口の奇跡のバウンド送球で墨高は悲願の一回戦突破を果たした。

 〈検証〉東京大会について

 東京大会の火蓋が切って落とされた。これは『キャプテン』に出てくる架空の大会ではなく、お馴染みの夏の甲子園の地方大会のことである。
 現在では「東京大会」というのはなく、夏は東と西に分かれている。この『プレイボール』の連載が始まったのは一九七三年で、当時はまだ東西に分かれていなかった。つまりこの時点では「東京大会」というのは正しいわけであるが、翌年から東西の大会に分かれる。しかし『プレイボール』世界では翌年も東西には分かれず、東京大会として行われているようなので、『プレイボール』世界は七二年以前に行われていたと認定する。
 と思っていたら、それを覆す看板を見つけた。翌年、つまり谷口が二年の時の大会はなんと「第五七回」だったのだそうだ(プ一二巻七頁)。五七回大会ということは七五年、つまり既に東西に分かれていたわけで、「東京大会」は存在しなかったのである。
 うーん、やはり『プレイボール』でも架空の大会を行っていたのか?
 いや、墨高は甲子園を目指しているのだし(一応だが)、甲子園大会は実在するのだから、やはり実在の大会と認定しよう。なにかの都合で東西には分かれていなかったのだ。もし東西に分かれていたとしたら、墨高は東東京大会に参加していたと思われる。ちなみに『H2(あだち充・作)』では、東京はなんと南北の大会に分かれていた。あんな東西に細長い東京都をどうやって南北に分けるんだ?
 ところでこの七三―七五年ごろの高校野球はどんな選手が活躍していたのだろうか。江川卓(作新学院)、篠塚利夫(銚子商)、定岡正二(鹿児島実)、原辰徳(東海大相模)ら、のちに巨人の主軸となる選手たちが甲子園で大暴れしていた。さらに金属バットの使用が認められたのは七四年夏からだが、『プレイボール』では木製バットしか使われていない。
 話を元に戻すと、先の看板には「全国高校野球大会東京都予選」と書かれているが、正確には「全国高等学校野球選手権東京大会」という。よく甲子園に至るまでの大会を「地区予選」と呼ぶがこれは誤りで、正確には「地方大会」という。つまり甲子園の「予選」ではなく、それに至るまでの「大会」と位置付けられている。
 したがって本書では『プレイボール』で「地区予選」と呼ばれているものは、「東京大会(あるいは地方大会)」と表記する。
 さて、東京大会一回戦の墨高×京成戦は駒沢球場で行われているが、これは『キャプテン』に登場する高野台球場とは違い、実在する球場である。ただし、かつて東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)の本拠地だった駒沢球場とは違う。東映の本拠地だった駒沢球場は東京オリンピックの時に取り壊され、『プレイボール』に登場する駒沢球場はその後アマチュア用に建設された。
 この駒沢球場は現存の球場で、現在でも高校野球東東京大会に使用されている。

 〈検証〉墨高、五年ぶりの勝利

 野球部に移籍した谷口は、田所の方針で最初こそ草むしりをしていたものの(プ一巻一四四頁)、周りの期待に押されて始めたバッティング練習でいきなりオーバーフェンスして、部員たちの度肝を抜いた(プ一巻一五六頁)。谷口は中学時代ずっと軟式をやっていて硬球を打つのは初めてだったが、一球目こそ手がしびれてしまったものの二球目からは中山をメッタ打ちにした。
 中学から高校に移るときによく問題視されるのが軟式から硬式へ変わるときの戸惑いだ。打つときには芯で捉えないと手がしびれるし、守るときはバウンドの仕方が違うし、なによりも硬いボールに対する恐怖心がある。投手の場合も、軟球は中が空洞になっているが硬球は中もつまっているので、しっかり投げないと肩を壊す恐れがある。
 その点、リトルシニアリーグやボーイズリーグなどの出身者は既に硬球に慣れているので、軟式出身者よりも高校では有利と言われており、事実、名門校が欲しがるのは硬式出身者だ。
 じゃあ軟式出身者はダメかというとそんなことは決してなく、イチローや松井秀喜は中学時代、軟式野球をしていた。高校の指導者の中には、子供は軟式のほうが安全に野球の基礎を叩き込むことができると言っている人もいるくらいだ。
 要はいかに野球の基礎ができていて、あとは硬式にちゃんと対応できるかが問題なのだが、谷口の場合はすぐに順応したようだ。

 草むしりでもいいというつもりで入った野球部だったが、代打で出場が可能となると、やはり現状の墨高野球部では満足できなくなったようだ(プ一巻一七一頁)。しかし、試合まであと二日しかなく(プ一巻一六六頁)、今から部員に特訓を課すわけにもいかないし
(第一、一年生の谷口にそんな権限があるわけがない)せめて相手を調べようと、京成の偵察に行った。
 京成のグラウンドの外から谷口は、結構目立つ位置で一生懸命メモをとっているが(プ一巻一七九頁)、京成の選手たちは誰も気付かなかったのだろうか。余談だが、筆者が家の近所にある上宮太子高校のグラウンドに行ったとき、コーチらしき人に「あんた誰?偵察隊?」と声をかけられた。
 だがこのメモが役にたった。墨高ナインは相手投手が左かどうかも知らなかったのに(プ二巻一七頁)、谷口は各打者の苦手なコースから投手の狙い球、守備の穴まで全て洗い上げていた。
 しかし、谷口が偵察に行った時間は、たとえ早めに切り上げたとはいえ練習後である(プ一巻一七〇頁)。つまり、僅かの時間しか京成の練習を見られなかったはずだ。それがどうやってこれだけ細かいデータを調べたのだろうか。金成中のメガネ君もビックリだ。ひょっとしたら、次の日は練習を休んでまた偵察に行ったのかも知れない。だったら時間もタップリ取れる。墨高の遊びのような練習をやるくらいなら、じっくり偵察をして京成を丸裸にしたほうがよっぽどマシである。もっとも、そうなると谷口の偵察する姿はますます目立つことになるが。
 ともかく、谷口メモのおかげで墨高が試合を有利に進めた。中山の遅い球も、京成程度の打線なら、コーナーさえ突けばちゃんと抑えられるようである。
 打つほうも、決め球である左投手のカーブを捨て、シュートを狙い打つ作戦が奏功し、そこそこヒットは出るが、決定打は奪えない。理由は、併殺を四つも食っているのと(プ二巻五五頁と六〇頁)、村松が送りバントを嫌がって勝手に打って出たりしているからだ(プ二巻六八頁)。まさしく草野球である。
 
 〇―〇で迎えた七回表の墨高の攻撃、一死一、二塁から田所がカーブ攻めにあって三振(プ二巻七六頁)。これからはカーブ攻めで来るだろうと予測され、谷口が代打を買って出た(プ二巻七九頁)。これが最後のチャンスと代打・谷口を告げた田所は谷口に、ヒットが打てなくてもいいから気楽に、とアドバイスすると、「キャプテン、そんな気持ちで打席に入ったら、それこそ打てるものも打てなくなっちゃいますよ」と言い返している(プ二巻八一頁)。先の代打志願といい、このセリフといい、とても一年生の発言とは思えない。というより、これが本当にあのハニカミ屋だった谷口だろうか。

 代打に出た谷口は追い込まれたものの、見事ライトフェンス直撃の走者一掃三塁打で二点を先制した。
 田所は谷口をそのままライトの守備につかせようとした。理由は、この試合ではまだ外野に一本も飛んでいないこと。もうひとつは、谷口の打席が少なくとも一回は廻ってくること。外野に飛ぶかどうかわからないのに、谷口の一打席をムダにはできない、というものだった(プ二巻一〇二頁)。
 ちょっと待ってほしい。谷口の次の中山が凡退で七回の攻撃が終わった(プ二巻九九頁)。谷口は八番の佐々木の代打だったので、当然八番。次の九番の中山で攻撃が終わったのだから、八回表の攻撃は一番から。あと二イニングでいずれも三者凡退だったら、六番までしか廻らないではないか。そりゃ、ランナーが出れば谷口まで廻る可能性もあるが、田所の言う「少なくとも一回」は廻ってこない。「廻ってこないかもしれない」一打席のために投げられないヤツを守備につかせるなんて、それこそノルか、ソルかの大バクチではないか。
 いったい田所はどういう計算をしたのだろう。五年ぶりの勝利を目の前にして舞い上がっていたのだろうか。しかし、この田所の大ボケ采配が結果的には奏功した。

 七回裏、一死からセカンドの松本のエラーでライトに転がり、谷口が投げられないことが京成ベンチに知れた(プ二巻一一二頁)。中山のコントロールが甘くなったことも手伝って、京成は徹底的にライト狙いできた。しかしこれを谷口はことごとくダイレクトキャッチで相手のチャンスを潰した。飛んだ所が谷口の所でなかったら、おそらく逆転されていただろう。この回を無得点で終えた京成はライト狙いを諦めた。
 2―0で迎えた九回裏の京成最後の攻撃、サード山口のエラーと死球で一死一、二塁、さらに三塁線を破る二塁打で一点を返しなおも一死二、三塁と一打サヨナラのチャンスを迎えた。ここで京成ベンチはライト狙いを指示。たとえダイレクトキャッチされても、墨高守備陣はライト狙いはないと、誰も谷口のカバーをしていない。タッチアップで二人一挙に生還できるという作戦だ(プ二巻一五二頁)。田所と違って実に頭がいい。
 京成の打者は注文どおりにライトフライを打ち上げた。歓喜に沸く京成ベンチ。谷口は難なく打球を取ったが、投げてくれる者は近くにいない(プ二巻一五五頁)。
 三塁走者と二塁走者は小躍りしてホームに帰ってこようとした(プ二巻一五六頁)。
 このハシャギ振りに腹を立てたのか、いや、投げられない自分に腹を立てたのだろう、谷口はホームに向かって思いっきりボールを地面に叩きつけた。
 このボールがなんとホームに向かって突進してきた。小躍りしているランナーは気付かない。
 そして、三塁ランナーが気付いた時には、ボールはホーム寸前だった。慌てたランナーがホームに滑り込むが、間一髪タッチアウト(プ二巻一五九頁)。その瞬間、墨高の勝利が決まった。
 京成はあまりにもハシャギ過ぎた。普通に走っていれば、少なくとも三塁ランナーはゆうゆうセーフだったのに。墨高に負けるというプレッシャーがよほど大きく、その反動でこの大ハシャギになってしまったのだろうか。
 そして、勝った瞬間の墨高の反応が面白い。勝ったことよりも、谷口が投げられたことのほうを喜んでいるのだ。普通ならまず「勝ったー!」と叫ぶものだが、中山などはいきなり「谷口がホームまで返球しやがったぜ!」と我が事のように喜んでいる(プ二巻一六〇頁)。普段は頼りなくても、谷口は実にいいチームメイト、いい先輩に恵まれているのだ。

 試合後、谷口がもう一度バウンド送球を試してみると、やはり威力のある球を投げることができた(プ二巻一六二頁)。マグレではなかったのだ。
 谷口が守備につくめどが立った上、墨高は五年ぶりの二回戦進出を果たした。

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