トップ野球少年の郷第20回
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第二章 墨谷高等学校 谷口一年生編(プレイボール 一〜七巻)−4


 B墨谷高×東都実業高(東京大会三回戦)球場=明治神宮球場

 東都実 050 000 007=12
 墨 谷 000 000 028=10
  勝=中尾 負=中山 本=高野(田所)

 シード校の東都実業と対戦が決まり、谷口は東実相手にバウンド送球では通用しないと、ノーバウンド送球に挑んだ。ノーバウンド送球をマスターするうちに、この送球がフォークボールになっていることに田所が気付いた。そこで、中山のリリーフとして谷口を登板させることを決めた。いくらなんでもフォークボールだけで完投することはできない。

 先発の中山は緩い内角低めでサードゴロに打ち取る投球で初回を三者凡退に抑えた。しかし二回からは東実打線のミート打法につかまり、五点を失う。四回途中から谷口が登板、フォークボールの連投で東実打線を寄せ付けなかった。

 東実のエース・中尾の速球に手が出なかった墨高打線も八回に中尾を捕らえ二点を返した。
 しかし九回表、二死から東実のセーフティバント戦法に揺さぶられ遂に谷口が力尽き、捕手の田所がリリーフ。田所で東実打線を抑えられるはずもなく、この回一挙八点を奪われる。
 九回裏、中尾をリリーフした投手に墨高打線が襲いかかり、東実は再び中尾をマウンドに送るが墨高の勢いは止まらず、一二―一〇と二点差まで詰め寄った。
 二死満塁のチャンスで三番・山口がセンターに大飛球を放ったが、東実の中堅手・町田が超美技。
 東実が勝利、墨高はあと一歩及ばず、三回戦で敗退となった。

 〈検証〉東都実業について

 墨高は三回戦に初めて進出し、シード校の東都実業と対戦することになった。東京大会では三回戦までシード校は登場しないのだから、墨高がシード校と対戦するのは初めてということになる。なおこの三回戦、「準準決勝((ママ))」と表記されている箇所があるが(プ一〇巻六四頁)、それではあまりにも出場校数が少なくなってしまうので、ここでは無視することにする。なお、翌年の大会では六回戦が準々決勝になっている。
 さて、この東実の実力であるが、田所によると「(墨高が)偵察したり努力する程度じゃ通用しない相手」なのだそうだ(プ三巻九二頁)。つまり、青葉学院と墨谷二中(特訓前)ぐらいの差はあったと思われる。各地からプロを目指すような選手が集まって来るそうだから(プ三巻九三頁)、かなり野球に力を入れていると思われる。事実、エースの中尾は大学やプロから狙われている投手だ(プ三巻一〇五頁)。

 ただし、青葉学院と東実には決定的な違いがある。青葉学院は何年も連続して全国優勝していた、向かうところ敵なしの中学校だった。しかし、東実は東京都内の単なる強豪校の一つにすぎない。東京大会でも「よく決勝や準決勝に顔を出す」程度で(プ三巻九一頁)、目標は全国優勝よりもまず甲子園だ(プ三巻一〇八頁)。それに、翌年には準々決勝にも残れずに敗退している(プ一六巻五二頁)。
 それでも田所がハナから東実には勝てないと思い込んでいるのだから、中学野球と高校野球では土壌の広さが違うのだろう。実際の大会ではノーシード校がシード校を倒すことはよくあるのだが、当時の墨高レベルではとても考えられないことだったに違いない。

 田所と谷口は東実の偵察に出かける。と言っても、田所は本気で東実に勝つつもりで行ったわけではない。東実の強さを見せて谷口に諦めてもらうためだ(プ三巻九五頁)。田所はなにも勝つのが嫌だったわけではない。東実に本気で勝とうと思ったら、勉強はおろか全てを野球のために犠牲にしなければならないからだ(プ三巻九三頁)。田所は高校を卒業すると実家の電気屋を継ぐことになっていて、修理の免許を取得するために毎晩勉強しなければならなかった(プ三巻一一六頁)。もっとも、それならなぜ工業高校に行かなかったのだろうかとも思ってしまうが……。それはともかく、田所にとっては野球と同じぐらい、勉強したり友人と付き合ったりするのは貴重な時間なのだ。この考え方はまっこと正しい。

 しかし田所には大きな誤算があった。谷口は無名の墨谷二中を全国制覇までさせた男なのだ。東実の練習を見てたしかに驚いていたが、それで諦めるような谷口ではない。しかも谷口は二軍の補欠だったとはいえ青葉学院にいたのだ。田所が東実のグラウンドのことを「どうだい、すげえだろ。ライトつきの球場だぜ」などと我がの自慢のように言っているが(プ三巻九八頁)、スタンド付きの豪華な青葉学院の球場に比べれば貧弱なものだ。きっと谷口は内心「青葉学院はもっと凄いですよ」と思っていたに違いない。案の定、谷口は東実を分析してせっせとメモをとっていた(プ三巻一〇九頁)。

 この東実、学校は都心にあるのだが、野球部のグラウンドは郊外にある(プ三巻九七頁)。都心では土地が狭いための措置だが、都会にある強豪校ではよくあることだ。前に筆者の家の近くに上宮太子高校のグラウンドがあると書いたが、ここも元々は大阪市のど真ん中にある上宮高校の野球部のグラウンドだった。学校とグラウンドはかなり離れていて、電車とバスを乗り継いで一時間半ぐらいかかるだろうか。専用バスを使っても大変な距離で、それならここに学校を創ってしまえと思ったのか、現在ではグラウンドと同じ場所にある上宮太子の方に野球では力を入れている。この「太子」というのは聖徳太子のことで、ここが聖徳太子のゆかりの地ということで「太子町」と名付けられたのだが、道路の脇には子供の交通安全を呼びかけるためにランドセルを背負った聖徳太子の絵があったりして、ハッキリ言って不気味である。このあたりは大阪とは思えないほどの田舎風景が拡がっている。

 東実のグラウンドの周りも田畑がたくさんあって結構田舎のようだが、上宮太子よりはマシだろうか。谷口と田所は偵察の帰りにこの町の中華料理屋でラーメンとギョウザを食って帰るが、このラーメンが実に美味そうだった(プ三巻一一八頁)。

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