トップ野球少年の郷第23回
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第二章 墨谷高等学校 谷口一年生編(プレイボール 一〜七巻)−7


〈検証〉東実との対戦(終盤)

 八回表、東実の攻撃で一死から五番の大野が谷口から初安打となるセンターオーバーのツーベースを打った(プ五巻九五頁)。フォークの連投のため、疲労によりあまり落ちないフォークが増え、その球を狙われたのである。
 ここで東実の監督はファールで粘って谷口の疲労を誘えと指示(プ五巻九八頁)。青葉学院の部長とそっくりだ。六番の松川は粘った挙げ句、落ちないフォークを狙い打ってセンターへあわやホームランの大飛球を村松が好捕(プ五巻一〇六頁)。東実だけでなく、墨高の外野守備も超人的だ。墨高の狭いグラウンドでどうやって練習したのだろう。とても弱小チームとは思えない。
 七番の高野にも粘られるが、気力の投球で三振に打ち取り、無得点に抑えた(プ五巻一二六頁)。
 八回裏、遂に墨高が反撃を開始した。太田、山口が連続ヒットで四番の谷口を迎える。
 ここで東実のエース中尾が信じられないことを口にする。なんと谷口を敬遠するというのだ(プ五巻一四七頁)。八回裏、五点リードの無死一、二塁での敬遠策など自殺行為としか思えない。しかも谷口以外の打者を抑える自信があるのならともかく、他の打者にも完全にとらえられているのだ。当然、監督は勝負を指示する(プ五巻一五〇頁)。

 しかし、谷口にホームラン性の大ファール三連発を打たれると、監督はたまらず敬遠を指示(プ五巻一七一頁)。もうプロから狙われている逸材の中尾もカタなしだ。このケースでの敬遠は普通考えられないが、ホームランを打たれて二点差になるよりはマシだと考えたのだろう。
 無死満塁から田所のレフト前ヒットで一点を返し(プ五巻一七八頁)、さらにバッテリーの仲間割れもあってピッチャー交代、中尾はライトに退いた(プ五巻一八四頁)。ベンチに下ろさず、ライトに入れた理由がふるっている。まだ中尾には打者としてがんばってもらわなければならないという理由だ。つまり、再リリーフの可能性はこの時点では監督の頭にはないと考えられる。打者として、と言っても九回表は八番からの攻撃だし、四番の中尾に廻ってくる可能性は薄い(実際は廻ってきたが)。まあ、中尾のライト守備もそんなに悪くはないということか。

 六番の村松はリリーフからセンター犠牲フライを放ち二点目(プ五巻一九四頁)、さらに松本が左中間への長打コースの一打を放った(プ五巻一九六頁)。しかし、二塁走者の谷口が本塁寸前で疲労のため倒れ、駆け寄ってきた田所と一緒にタッチアウト(プ六巻一五頁)。ダブルプレーでチャンスを潰した。これは墨谷二中×青葉学院戦で、走塁途中にイガラシが倒れ、谷口が駆けつけたために併殺になったプレーによく似ている(キ五巻五七頁)。
 九回表、墨高は谷口を休ませるために守備につく前に円陣を組んだり(プ六巻一八頁)、守備についてからも田所が目にゴミが入ったふりをするなど(プ六巻二二頁)、かなりの遅延行為を行っている。さらに田所は谷口に「なあに、夕方までかかったってかまやしねえんだ。ナイター設備もあるこったし」とまで言っている(プ六巻三二頁)。ちなみにこの試合は第二試合で、後に第三試合が予定されていた(プ四巻四四頁)。

 かつて甲子園の名審判と言われた故・西大立目永氏なら、こんな遅延行為は絶対に許さなかっただろう。西大立目氏は、野球はスピーディにやるのがモットーで、現在と違ってタイム回数の制限がない時代でも、ムダなタイムを絶対に認めなかった。ましてや「ナイターになってもかまわない」という考え方は言語道断で、日が落ちる前に試合を終わらせる努力をせよという考え方だった。もしこの試合の球審が西大立目氏だったら、田所は怒鳴りつけられていただろう。

 しかしこの遅延行為のおかげで球威が復活した谷口は二者連続三振に打ち取り、あと一人までこぎつけた。しかし一番の中井の代打に出てきた選手はセーフティバントの構えで谷口をダッシュさせて疲労を誘い、三球目には本当にスリーバントした。このバントが線上でピタリと止まる、東実にとってはラッキーな、墨高にとっては不運なバントヒットとなる(プ六巻六一頁)。そしてこれが試合の明暗を分けた。もしボールがもうひと転がりすればスリーバント失敗の三振となり、九回表は無得点で切り抜けられたのだ。
 佐藤の代打もやはりバントの真似で谷口の疲労を誘い、スリーバントしたが今度は谷口の正面。これでチェンジかと思われたが疲れきっている谷口は悪送球してしまい(プ六巻八〇頁)、東実の攻撃は続く。

 ここからは谷口にとって地獄絵巻だった。フォークが落ちなくなり東実打線につかまった。町田にはライト前ヒットを打たれて谷口は初失点(プ六巻八五頁)。中尾にはレフトオーバーの二塁打でさらに失点(プ六巻八九頁)、大野には死球を与え(プ六巻九一頁)、谷口は遂に力尽きた。
 田所は棄権すると言った。中山ももう投げられない以上、墨高にピッチャーはいなかった(プ六巻九二頁)。しかし谷口が納得するはずもなく、やむなく棄権は取り下げた。代わりに谷口をライトに下げ、田所が投げるというのだ。田所は中学時代、ピッチャーをやっていたそうだ(プ六巻九六頁)。

 しかし田所が東実打線に通用するはずもなく、東実のリリーフ投手にレフトオーバーのツーベースを打たれ(プ六巻一〇六頁)、大野にはバックスクリーンを越える超特大スリーランを打たれた(プ六巻一一一頁)。これで一二―二の絶望的な一〇点差。

 さらに東実は攻撃の手を緩めず、あっという間の三連打で二死満塁。しかし、このときの田所の谷口を思う気持ちが泣かせる。「そううらめしそうな顔をするなよ谷口!おまえはこれから墨谷をしょってたつ男じゃねえか。おまえが使いものにならなくしてまでもおれは勝ちたかねえんだ。でも、こうでもしなきゃおまえはあきらめねえからな!」(プ六巻一一五頁)。慣れないマウンドでそう思うキャプテンの気持ちを、ライトにいる谷口には伝わったのだろうか?

 そして、前回代打に出た選手がライトオーバーの当たり。また追加点かと思うと谷口が背走、超美技でチームのピンチを救った(プ六巻一一八頁)。
 この谷口の根性はどこから来るのか?考えてみれば、中学時代は指の骨折をおして投げていたのだから、これぐらいはなんともないのかもしれない。しかしあの時は、フラフラになりながら投げていたイガラシの姿があったからこそがんばれたとも言える。しかもそのときはキャプテンだった。今は違う。他に奮い立たせる選手はいないし、しかも責任のない一年生だ。もしかすると、谷口を大事に思うキャプテンの田所や、他のナインの思いを痛切に感じていたのかも知れない。ラグビーでよく使われるOne for all,all for one.(ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために)の精神だ。もっともこの言葉、本当はラグビーとは関係なく、アレクサンドル・デュマの「三銃士」から来た言葉なのだそうだが……。

 一〇点差のまま、九回裏の墨高最後の攻撃を迎えた。

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