トップ野球少年の郷第24回
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第二章 墨谷高等学校 谷口一年生編(プレイボール 一〜七巻)−8

〈検証〉東実との対戦(九回裏)

 九回裏、墨高最後の攻撃。差はなんと一〇点。どう考えても逆転不可能な点差である。
 ちなみに日本のプロ野球では過去に何度か一〇点差ゲームを逆転した試合があるが、さすがに九回一イニングで同点に追いついたり、ひっくり返した例はない。

 高校野球の甲子園での最大の逆転劇は、一九六一年夏の報徳学園×倉敷工戦である。延長一一回まで〇―〇で進み、一一回表に倉敷工が六点を奪うとその裏に報徳学園が六点を取り返し、一二回裏に報徳学園が一点を入れてサヨナラ勝ち。六点差をひっくり返した試合だった。
 六点差ですら「奇跡」なのだから、一〇点差はどうしようもない点差に思えるが、野球はわからない。サッカーのような時間制のスポーツなら残り時間で絶対に逆転できない点差というのがあるが、野球の場合はスリーアウトを取られるまでいくらでも攻撃できる。事実、一イニングに一〇点以上取ることだってあるのだ。まあ、メッタにないことだが……。

 田所は絶望しなかった。本気で逆転できると思っていたかどうかはわからないが、諦めなければチャンスは生まれると思っていた。当然、これは谷口のプレーに教えられたものだった。そんなキャプテンの思いがナインにも伝わった(プ六巻一二四頁)。

 逆に一〇点差もあるのに東実のリリーフは浮き足立ち、佐々木には死球、中山にはバントヒットを決められるありさま。たまらず東実ベンチは中尾を再びマウンドに上げた(プ六巻一三七頁)。
 しかし山本にセンター前ヒットを打たれ無死満塁。このとき山本はヒットを打ったにもかかわらず、田所に「なにもせっかちに打つこたあねえだろ、バカが!」と怒られている(プ六巻一四六頁)。ヒットを打って怒られた山本には気の毒だが、谷口を休ませるのが優先だった。

 そんな墨高の事情も知らず東実の監督は、墨高は一〇点で焦っているはずだからじっくりとじらせ、と見当違いの指示を出している(プ六巻一五〇頁)。もちろん墨高にとっては願ってもないことで、太田はじっくり粘ったあと押し出しの四球というもっともいい形での出塁となった(プ六巻一六四頁)。ネクストに谷口が出てきたところで東実の監督が墨高の狙いにやっと気付く。当然、バッテリーにテンポアップを指示した(プ六巻一六八頁)。だが、山口に走者一掃の右翼線三塁打を打たれ、その差は六点となった。(プ六巻一七六頁)。

 谷口の打席。疲労のため最初は中尾の速球に振り遅れていたものの、ファールで粘っているうちにタイミングが徐々にあってきて、遂には前打席のようにホームラン性のファールを打たれると、東実の監督はまたもや敬遠を指示する(プ七巻二七頁)。なぜこんな作戦を取るのか理解できない。八回のケースはまだわかるが(それでも納得しきれていないが……)六点差で九回ならホームランだろうが四球だろうが状況は一緒だ。東実の監督は疲労している谷口をランナーで刺せ、と言っているが、それならなおさら打たせて取るべきだろう。打たせた場合、谷口が安全にベースに辿り着けるのはホームランだけだ。

 そうでなくても、九回六点差での敬遠指示はありえない。自らアウトを取る可能性を摘み取っているだけだ。また監督は、谷口が打って得点したら墨高の士気が上がることを警戒しているが、そんなことを考えるのは八回までだ。九回はもう後がないので、二点差以上で負けているときに攻撃側がしなければならないのは、アウトにならず出塁すること。九回にランナー三塁で勝っている側が守備のとき、敬遠していいのは一点差の場合のみである(もちろん、同点のときや負けているときも可)。二点差のときは、よほどのホームラン打者(高校時代の松井秀喜のような)ならば敬遠もありうるだろう。普通は同点のランナーを出したりはしない。三点差以上なら、どんな打者であれこのケースでの敬遠はありえない。百戦錬磨(と思われる)の東実の監督がこんな作戦を思いつくというのは、よほど焦っていたのだろう。

 谷口敬遠で無死一、三塁で打者は田所。ここでなんと谷口が盗塁した(プ六巻三六頁)。東実の監督が監督なら、谷口も谷口である。よくぞこんな無茶をしたものだ。一塁を空けておけば併殺を免れるから走ったらしいが(プ七巻三七頁)、それで盗塁失敗してアウトになったら元も子もない。しかもかなり際どいタイミングだった。このケースでの盗塁は一〇〇%ありえない。走っていいのは、暴投などで確実に塁を進めることができるときだけだ。谷口も疲労のため思考能力が鈍っていたのだろうか。
 田所はセンターオーバーの二塁打。一点を返したが谷口は三塁で倒れてしまい、無死二、三塁(プ七巻四二頁)。ここまで疲れているなら代走を送ればいいと思うのだが、まだ谷口まで廻る可能性があるので代えられないのだろう。田所がまだ試合を諦めていないことがわかる。

 田所は谷口に、次の村松が打っても一塁が空いているのでホームに突っ込まなくていい、と指示するが(プ七巻四二頁)、村松のホームラン性のセンターフライでタッチアップ、ホームに生還する(プ七巻五二頁)。何度も言うようだが、このケースではアウトになる危険性の高い走塁はする必要はない。田所のアドバイスは正しいのだ。ただ、普通ならばフェンスいっぱいのセンターフライだから犠飛としては充分の距離で、タッチアップしてもかまわない。むしろ谷口がホームに突っ込んだのは、早くベンチに帰って休みたかったのではないか。それなら頷ける。
 それよりも、またもや東実のセンター・町田の大ファインプレーが出た。それだけではない。なんと町田はセンターのフェンス手前からノーバウンドでバックホーム、あわや谷口を刺すところだったのだ。セカンドがカットに入らずバックホームを指示しているから、中継なしだということがわかる(プ七巻五〇頁)。神宮球場のホームからセンターまでの距離は一二〇m。プロの強肩選手で遠投一二〇mを投げる人はいるが、それとて助走をつけて山なりのボールしか投げることはできない。町田のようにセンターのフェンスからノーバウンドで矢のようなバックホームができる選手なんて見たことがない。これはもう、イチローのレーザービームどころの騒ぎではないだろう。筆者がプロのスカウトだったら、町田を文句なしでドラフト指名する。中尾なんかよりよっぽどプロ向きだ。

 松本が三遊間を破るヒットで一死一、三塁、ここで東実の監督は、前進守備を敷いてダブルプレーにしろ、と指示している(プ七巻六一頁)。なぜ前進守備でダブルプレーを狙うのかは不明。一点なんてくれてやっていいのだから、前進守備を敷く意味がわからない。ヒットゾーンを拡げるだけだ。まあ、ダブルプレー態勢という意味か。当然、徹底的に低めを突いてゴロを打たせろと指示(プ七巻六二頁)。
 しかしその低めを佐々木がものの見事に打ち返し、左中間フェンス直撃のツーベースで三点差(プ七巻七〇頁)。
 ここで東実バッテリーはもう監督の言うことを信じられなくなる(プ七巻七二頁)。それはそうだろう。これだけトンチンカンな指示ばかり出して、しかも打たれっ放しなのだから信用できなくて当然だ。まあ打たれているのは、中尾に墨高打線を抑える力がないだけの話なのだが……。
 そこで左右に揺さぶろうとするのだが、中山に死球を与えてしまい、一死満塁。監督はまたバッテリーを呼び寄せ、低めを突いてゴロを打たせろと言ったのを忘れたのか、と一喝する(プ七巻七八頁)。ちょっと待って欲しい。さっきのケースでは一、三塁だったのでゴロを打たせて併殺に打ち取る作戦も頷けるが、今の場合は二、三塁だ。無理にゴロを打たせる必要はない。死球を与えたのはまずかったが、左右に揺さぶるというバッテリーの判断は正しい。

 どうでもいいことだが、この監督はバッテリーを呼び寄せることがあまりにも多い。九回裏だけでなんと六回(うち、中尾のみが一回)、この試合全体で一〇回も呼び寄せている。タイム制限のある現在では考えられない。また、第一章でも触れたが、現在の高校野球ではベンチの指示は伝令の選手が伝えることになっている。それにしてもこれだけ指示を与えるということは、間違いなく東実の選手たちは監督の操り人形だ。
 それはともかく、墨高にとって待望の同点のランナーが出た。しかし、ホームランを打てば逆転サヨナラ勝ちになると気付いた山本は力んでしまい、ショートゴロで三塁ランナーがホームでフォースアウトとなってしまう(プ七巻八八頁)。しかし、せっかくショートゴロに打ち取ったのに、なぜ6―4―3のゲッツーを狙わなかったのだろう。たしかにショートは前進守備を敷いていたように見えるが(プ七巻八七頁)、こんな時こそ併殺狙いではないのか。まあ、アウトを確実に一つ取ったのでヨシとするか。

 二死満塁で追い込まれた墨高は、硬くなった太田がサードゴロ。万事休すかと思われたがサードがホームへ悪送球プ七巻一〇〇頁)。墨高は九死に一生を得た。東実も相当硬くなっているようだ。このときのサードは(高校野球では名の通った)中井ではなく控え選手なので仕方ない面があるが。
 その差は僅か二点となって二死満塁、バッターは三番の山口。一打同点であり、次は谷口だ。中尾と山口、共に硬くなるが、中尾は黙想で気を静め(プ七巻一〇六頁)、山口は例の呼吸法で心を落ち着けた(プ七巻一一四頁)。
 2―1からの四球目、山口が放った打球はセンターの遥か頭上。抜ければ同点は間違いなく、普通なら逆転サヨナラ打になる打球を、またもや町田が大大大大ファインプレー(プ七巻一二〇頁)。なにしろ背走、背走、背走してジャンプ一番、身体は半回転して後頭部をフェンスにぶつけ、その場で気絶するように倒れ込みながらもボールを離してはいなかった。前にも書いたが、町田こそこの試合での文句なしのMVPだ。
 かくして、墨高は惜しくも敗れた。東実応援団は、中尾が「ま、まるで甲子園で優勝したみたいなさわぎだぜ」と呟くほどの大歓声だ(プ七巻一二三頁)。

 田所が、この試合は一生忘れない、と誓った(プ七巻一三〇頁)東京大会史上に残るであろう大熱戦は幕を閉じた。

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