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コラム@ 墨谷の里を訪ねて-3
日枝神社を出て荒川の堤防に登り、水戸街道の方に歩いて行くと、河川敷には少年野球場が何面もあった。大人がプレーするにはちょっと狭いグラウンドである。さらにその隣りにはサッカー場もあった。これこそ、荒川高校サッカー部が練習をしていて、その隣りで谷口が審判をしていた少年野球と同じ構図ではないか?(プ1巻122頁)
そして校庭を見ると、あまりにも狭くて野球は到底できそうもない。
しかもグラウンドは土ではなく、ゴム仕様になっていて、陸上用トラックが描かれていた。墨谷二中では校庭の他に野球部専用グラウンドがあったが、とてもそんなスペースはない。やっぱりここは墨谷ではなかったのか……。 |
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吾嬬二中の校庭。あまりに狭く、芝生も土も無いので野球の練習は不可能。 |
失意のまま大阪に戻り、ある野球HP掲示板にこの旅行記を書いた。八広は墨谷ではなかった、と。
すると「八広」で検索してきたのか、今まで書き込んだこともない人が僕の書き込みに反応してきた。その人は、八広こそが墨谷だ、と断言していた。
以来、その人とネットで交流するようになった。その人は八広にある少年野球チーム「ヤングパイレーツ」の関係者で、そのホームページも作っていた。このヤングパイレーツこそが墨谷二中野球部のモデルだという。僕が上京したときには一緒に酒を呑みましょう、と誘われた。
それから約一年後、上京する機会があったので、一年前の約束を憶えているかどうか不安を覚えつつ、ヤングパイレーツのホームページに、今度ぜひ会いましょう、と書き込んだ。その方はこの申し出を快く受け入れてくれた。