トップ野球少年の郷第27回
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コラム@ 墨谷の里を訪ねて-3

日枝神社を出て荒川の堤防に登り、水戸街道の方に歩いて行くと、河川敷には少年野球場が何面もあった。大人がプレーするにはちょっと狭いグラウンドである。さらにその隣りにはサッカー場もあった。これこそ、荒川高校サッカー部が練習をしていて、その隣りで谷口が審判をしていた少年野球と同じ構図ではないか?(プ1巻122頁)

 堤防を離れ、吾嬬二中を探すことにした。地図を頼りに探してみると、途中に田所が墨高ナインに奢ろうとしたけど高すぎたので断念した鰻屋のような店や(プ15巻146頁)、その代わりにカツ丼を食ったような店があった(プ15巻155頁)。

 どうやらここが墨谷に違いないと確信した頃、吾嬬二中を発見。大通りから狭い道を入ったところに校門があったが、マンガのように目の前を車が通れる道は横切ってはいない。校門で道が行き止まりになっていた。

 

 

墨高ナインがカツ丼を食った店に字体が似ている。ただし、文字順は逆。
 そして校庭を見ると、あまりにも狭くて野球は到底できそうもない。

 しかもグラウンドは土ではなく、ゴム仕様になっていて、陸上用トラックが描かれていた。墨谷二中では校庭の他に野球部専用グラウンドがあったが、とてもそんなスペースはない。やっぱりここは墨谷ではなかったのか……。

吾嬬二中の校庭。あまりに狭く、芝生も土も無いので野球の練習は不可能。

 失意のまま大阪に戻り、ある野球HP掲示板にこの旅行記を書いた。八広は墨谷ではなかった、と。

 すると「八広」で検索してきたのか、今まで書き込んだこともない人が僕の書き込みに反応してきた。その人は、八広こそが墨谷だ、と断言していた。

 以来、その人とネットで交流するようになった。その人は八広にある少年野球チーム「ヤングパイレーツ」の関係者で、そのホームページも作っていた。このヤングパイレーツこそが墨谷二中野球部のモデルだという。僕が上京したときには一緒に酒を呑みましょう、と誘われた。

 それから約一年後、上京する機会があったので、一年前の約束を憶えているかどうか不安を覚えつつ、ヤングパイレーツのホームページに、今度ぜひ会いましょう、と書き込んだ。その方はこの申し出を快く受け入れてくれた。


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