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第三章 墨谷第二中学校 丸井キャプテン編(キャプテン 五〜九巻)−7

〈検証〉夏合宿

 前項の最後にも書いたとおり、夏休みの初日から墨二野球部は合宿に入った。合宿の期間はわからないが、練習試合まで二〇日しかないと島田が言っているので(キ七巻一五頁)、二〇日間ぐらいなのだろう。

 ん?ちょっと待て。夏休みが始まるのがさっきも書いたように七月二〇日頃。そこから二〇日間も合宿を張ると終了が八月一〇日頃になってしまう。甲子園はすでに開幕している時期だ。しかも合宿が終わると三六校との練習試合が待っている。この練習試合は一日三試合行われるので(キ七巻一五頁)、期間は一二日間。その後に地区予選が始まるのだから、予選参加が八月二二日以降ということになる。いくらなんでもこれでは遅すぎる。全国大会は夏休み中に開催不可能だ。春の選抜同様、通常の授業に入ってから開催されているのだろうか。

 その可能性はある。前にも書いたが前年の風景を見ると、通常授業がある日に部室で全国大会での青葉の話題を交しているように見えるシーンがあるのだ。しかもみんな冬服を着ている(キ三巻一三一頁)。もしそうだとしたら、なぜ春夏の全国大会を休み中に行わないのだろう。

 それはともかく、この合宿は三六校との練習試合に耐えられるために行うものである。しかも一日三試合だ。そこで丸井はこの連戦に耐えられるスケジュールを作った(キ六巻一六頁)。その一日のスケジュールをここに記してみよう。
 
  六時 起床
  七時 朝食
  八時 ランニング、柔軟体操
 一〇時 守備練習
 一二時 昼食
  一時 バッティング練習
  三時 おやつ、お昼寝
  五時 ランニング、柔軟体操
  七時 夕食
  八時 ミーティング
  九時 自由
 一一時 消灯

 これが一日三試合を一二日間続けることに耐えられると丸井が思って作ったスケジュールである。「おやつ、お昼寝」とあるのがちょっと笑えるが。

 練習時間を計算してみると一日八時間。これが合宿の練習時間として長いか短いかわからない。しかし、イガラシはこのスケジュールの三倍の練習時間にしなければ一日三試合を行う体力は養えないと断言した(キ七巻二六頁)。イガラシはキャプテンになったとき、授業のある日でも一〇時間の練習をナインに課したのだから(キ一〇巻一三八頁)、そう思うのは当然だろう。

 でも、八時間の三倍といえば、二四時間ではないか!一日中、メシも食わず、寝もせずに練習ばかりするというのか?スケジュールを見た野球部以外の生徒が、睡眠時間を大幅に削って、と言っているが(キ七巻三二頁)、削っているどころではない、無くしているのだ。

 しかし、実際はメシを食っているし(キ七巻三五頁)、夜はちゃんと寝ているのだから(キ七巻六四頁)、イガラシはスケジュールの時間をちゃんと計算していなかったのだろう。

 それでも過酷なスケジュールであることは明白で、特訓についていけない部員は次々と脱落していった。そして、練習方法に谷口時代から変化がある。以前の近距離ノックは一人ずつ行っていたが、この合宿では五人ほどいっぺんに行っている(キ七巻三七頁)。近距離ノックだから広いスペースが要らないわけで、これは効率のいい練習方法と言えるだろう。これが余計についていけない部員を生み出したのかも知れない。

 ちょっと気になったのが合宿中の食事である。一〇日目の夕食、メニューはなんとインスタントラーメンであった(キ七巻五七頁)。このときの炊事当番はイガラシで、実家が(中華)ソバ屋だけにインスタントラーメンでも美味いと評判になるのだが(キ七巻五八頁)、このとき残っていた二七名分のインスタントラーメンを作るのも大変な作業だ。もっとも、手伝っている部員もいるのかもしれないが、そうだとしても多くの鍋が必要になる。それはともかく、インスタントラーメンでは必要な栄養は摂れないだろう。具はひき肉や野菜が少々入っているだけである(キ七巻五九頁)。部員の多くが特訓に耐えられなかったのは、食事が充分ではなかったことにも原因があるのではないか。また、過酷な練習のために食事すら受け付けない部員も続出している(キ七巻六〇頁)。

 この合宿が終わる頃、総勢一二八名いた部員は一割にも満たない一一名に減っていた(キ七巻五四頁では最初は八六名になっているが、キ七巻六八頁の方を採用した)。

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