トップ野球少年の郷第43回
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第四章 墨谷高等学校 谷口二年生編(プレイボール 八〜一八巻)−2

〈検証〉倉橋の加入

 前述したように、三年生が抜けた新チームは九人を割って七名になっていた(プ八巻一一頁)。七名での練習方法に谷口は頭を痛めるが、毎年秋には九名を割る墨高には少人数での練習方法があるという(プ八巻一二頁)。

 その練習方法とは、外野には守備をつけず内野だけ守らせ、打者はゴロしか打たせず外野に飛ばしたら罰としてボールを取りに行かせ、打球を処理した選手と攻守交替するというものだった(プ八巻二七頁)。しかし谷口はこの練習方法に難色を示す(プ八巻二八頁)。理由は、その都度変わる守備位置では雑になるし、ゴロしか打てないのではバッティングフォームが崩れるからだった。この谷口の指摘はもっともだ。

 でも、ある程度のポジションさえ決めていれば、シートノックとフリーバッティング、あとは基礎体力トレーニングでオフの練習としては充分ではないか。特に墨高は秋季大会に出場しないのだから、試合形式の練習はしなくてもよい。むしろ個人のスキルアップと、体力・パワーの向上に努める絶好のチャンスではないか。

 しかし谷口は実戦感覚を失いたくないのか、新入部員を募集すると言い出した(プ八巻二九頁)。たしかに九名いれば練習試合もできるし、それに越したことはない。このあたり、谷口は実戦主義なのかも知れない。
 谷口が九名の人数が欲しかった理由のひとつに、田所がいなくなって捕手不在になったため、早くキャッチャーを決めて守備練習をしたかったのではないか。新入部員を募集して捕手適格者がいればラッキー、いなかったら東実戦でマスクを被った山本あたりをキャッチャーにコンバートして、ポジションを決めたかったのかも知れない。専門職のキャッチャーは、コンバートをするなら早い方がいい。

 こうして野球部は新入部員を募集することになった。それを知った田所が勧誘のポスターに「行こう君と甲子園へ」というキャッチフレーズを勝手に書き加えた(プ八巻三八頁)。調子に乗った田所はこのポスターに絵まで描いてしまった。ポスターは2バージョン有り、一つは長島(現役時代の長嶋茂雄)バージョン、もう一つは女子高生バージョンだった。この女子高生バージョンには「野球部の人ってすてき〜」というセリフと、ハートマーク二個が踊っていた(プ八巻四二頁)。ちなみに田所は、長嶋茂雄には甲子園出場の経験があると思い込んでいた(プ八巻三九頁)。だが山口の「でも、さっきよりポスターらしくなったじゃねえか」という無責任な一言で長島バージョンが活かされ、あまりに恥ずかしい女子高生バージョン制作にまで至った(プ八巻四〇頁)。

 このポスターで入部希望にまずやってきたのは、一年生の鈴木と半田だった(キ八巻四六頁)。この鈴木と半田に関してはのちにタイムラグが生じるのだが、それについてはそのときに説明しよう。
 肥満体の鈴木は野球経験もなく、ただ肥満の治療に野球部に入りたいというだけの男だった(プ八巻五〇頁)。これに対して半田は草野球のライトの補欠(プ八巻五一頁)。二人ともどう考えても戦力になりそうではなかったが、谷口は二人の入部を認めた(プ八巻五二頁)。谷口にとっては人数を合わせるのが先決だった。
 ちなみにこの新入部員となる半田、ちばあきお先生が『キャプテン』を連載する前に描いたマンガ『半ちゃん』の主人公である半ちゃんにそっくりだ。半ちゃんは、半ちゃん自身が結成した「マンモス」という草野球チームのライトで補欠だった。でも、半田と半ちゃんが同一人物かどうかは定かではない。さらにこの『半ちゃん』にはブンちゃんというキャッチャーも登場するが、これが鈴木にウリ二つ。ただし、鈴木は野球の経験がないので、これは他人の空似だろう。それだけではなく、『半ちゃん』にはイガラシという勝利至上主義者が出てくるが、コイツも『キャプテン』登場当初のイガラシによく似ている。ちなみに『プレイボール』世界での半田はイガラシより二年(一年説あり)先輩だ。

 鈴木と半田の入部が決まったあと、もう一人入部希望者がやってきた(プ八巻五五頁)。隅田中出身の捕手、一年生の倉橋である(プ八巻七一頁)。谷口は中学時代、倉橋の隅田中と地区予選の準決勝で戦っていたのだが、そのことを忘れていた(プ八巻六二頁)。谷口の中学時代は、打倒青葉で一杯だったのだろう。第一章でも書いたが、この試合は『キャプテン』には収録されていない。

 だが、他の部員たちは倉橋の経歴は知らなかったが、倉橋のことは知っていた。なぜなら倉橋は墨高野球部に入部し、たった三日で無断退部していた不届き者だったからだ(プ八巻五七頁)。野球の実力に自信のある倉橋は、当時の墨高野球部のやる気がない練習に嫌気がさして、さっさと退部したのだ(プ八巻五九頁)。田所が倉橋にイモ買いのパシリをさせようとしたときにいなくなったらしい(プ八巻七〇頁)。
 谷口が倉橋のことを思い出したのは、谷口が倉橋の名前を聞いたときだ。しかし田所が調べた部員名簿によると、倉橋は一年D組、谷口は一年C組だった(プ八巻六九頁)。普通に考えると一年C組とD組の教室は隣り同士にあると思われ、谷口と倉橋が廊下ですれ違うことはなかったのだろうか、という疑念もある。

 最初、他の部員たちは「三日坊主」の倉橋を追い返すが(プ八巻六三頁)、谷口から「中学時代は地区随一の捕手」倉橋の実力を聞くと前言を翻し、谷口に倉橋を連れ戻すように頼んだ(プ八巻七三頁)。田所が抜けた今、キャッチャーは喉から手が出るほど欲しかったのだ。かくして、倉橋の再入部が決まった(プ八巻七七頁)。

 谷口にとって倉橋は一捕手としてだけではなく、貴重な存在となった。谷口は上級生に遠慮してはっきりした指示が出せなかったが、そんな谷口のことを、舵の取れない船長、と厳しい言葉を与えている(プ八巻九五頁)。しかしこのはっきり物を言う倉橋の性格が谷口にとってプラスに作用した。他の部員にもはっきりと言いにくいことを言ってくれるから、上級生に遠慮する谷口にとってこんなにやりやすいことはない。レフトの戸室のことを「肩がない」と酷評することで先輩内野陣に中継プレイを促し(プ八巻一一〇頁)、ノックの最中、ただ漠然とボールを待っている山本にいきなり送球したり(プ八巻一一三頁)、谷口が先輩に強く言えない分を補って、チームを引き締めた。もっとものちに、怠惰な先輩たちに対してタメ口で本気になって怒り、危うく大ゲンカになりそうなこともあったが……(プ一一巻一七九頁)。

 倉橋の加入によりキャッチャーは決まったが、他のポジションは大胆なコンバートを行った。ピッチャーとサードは谷口と中山が兼任し、ライトの山本がファースト、レフトの山口がショート、ショートの太田がセンターに廻った。なぜ動かす必要のない太田をわざわざセンターにコンバートするのかとも思うが、谷口によると、太田はチーム一の俊足でしかも強肩だから、守備範囲の広いセンターの方が向いているということだった(プ八巻一〇四頁)。空いたショートには内野(サード)経験がある山口が入った。
 一年生の横井はセカンド、戸室はレフトだが、問題はライトだった。一応経験のある半田を起用しようとしたが、その守備は「半ちゃん」並みのオハナシにならないヘタさ加減だった(プ八巻一二一頁)。そこで野球経験はないが、打球に対する勘がある鈴木を起用することになった。

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