トップ野球少年の郷第49回
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第四章 墨谷高等学校 谷口二年生編(プレイボール 八〜一八巻)−8

C墨谷高×聖陵高(東京大会四回戦)球場=明治神宮球場

 聖陵 300 200 000=5
 墨谷 000 000 018=9
  勝=谷口 負=岩本 本=山口(岩本)

 四回戦もシード校の聖陵戦。初回、聖陵打線は墨高先発の松川に襲いかかり、いきなり三点。その裏、聖陵のエース岩本の得意球であるインシュート打ちの特訓をした墨高は、二死一、二塁から山口のセンター前ヒットで二塁ランナーの倉橋が本塁を突くが、聖陵の捕手の西田が走塁線上にキャッチャーマスクを置くというアンフェアなプレーのため滑り込むのが遅れ、あえなくタッチアウト。

 松川は二、三回はなんとかかわしたものの四回に二失点で降板。五回からは谷口が聖陵打線を完璧に抑え、五点ビハインドながら押し気味に試合を進めた。

 八回裏、墨高が二死満塁のチャンスで谷口が左中間オーバーの当たり。山本が還り一点を返すが、二塁ランナーの太田は西田の強固なブロックで憤死。

 九回裏、粘る墨高は二点を返し、なおも二死満塁から倉橋が左中間へ。島田が還り、同点のランナーの松川が本塁を突くが、またしても西田がマスクを置いた。しかしこのマスクを球審が蹴散らし、松川は同点のホームを踏んだ。
 こうなると押せ押せムードの墨高、谷口は敬遠で歩いたが、山口が既に限界の岩本からレフトへサヨナラ満塁ホームラン。
 五点差をひっくり返すという奇跡的な逆転劇を演じた墨高は五回戦に進出した。

 〈検証〉松川の先発

 四回戦は、三回戦で一九点を取って三回コールド勝ちした(プ一二巻八五頁)シード校の聖陵との対戦。なお、倉橋は一四点だと思っているが(プ一三巻九六頁)、本書では一九点の方を採用する。さらに、「不安の準々決勝」サブタイトルがあるが(プ一四巻七頁)、以前にも書いたように、六回戦が準々決勝というハッキリした記述があるので(プ一八巻一〇七頁)、この試合が準々決勝というのは無視し、変な言い方だがタダの四回戦とする。
 聖陵打線の破壊力は打撃が看板の大島工以上だと思われ、しかも大島工が振り回して墨高投手陣を打ちあぐねたところを見ているので、同じ轍は踏まないだろうと思われた(プ一三巻六〇頁)。

 しかし谷口は一年生の松川を先発させた。この起用に対し、OBの田所は疑問を抱いている。この試合の二日前、田所は墨高の練習を手伝ったときに松川の球を受けているが、ときどき浮いた球を投げていた(プ一三巻八三頁)。田所は、弱かった頃の去年までとは違い、五回戦までの戦い方を谷口は計算していたのだろうと結論付けた(プ一三巻八四頁)。事実、松川は初回に三点を失った時点で谷口に降板を申し出るが(プ一三巻一二七頁)、ローテーションを崩すわけにはいかない、と谷口は却下している(プ一三巻一二八頁)。

 最近では高校野球でも複数投手制が浸透しつつあるが、それでも一発勝負のノックアウト式トーナメント制ということで、エースが連投することが多い。ましてや『プレイボール』の時代では一人のエースが一大会を投げきるというのは当たり前だった。それなのに都立の無名校がローテーションの概念を取り入れたのは画期的だ。もっとも松川はこの試合で四回を投げきり、それ以降の試合には登板できなくなったが……(プ一五巻一六〇頁)。
 それはともかく、田所の懸念は当たって、聖陵は松川にとって荷の重い相手だった。
 一回表、先攻の聖陵の攻撃。ちなみに試合前、田所が係員に墨高の控室を聞き、係員が「一塁側です」と答えると、「一塁側か、すると後攻ってわけらしいな」と合点しているが(プ一三巻七五頁)、先攻後攻をジャンケンで決める高校野球では一塁側が後攻と決まっているわけではない。キャプテンをやっていた田所はそれぐらいのことは知っているはずなのだが。しかも一般人のはずの田所が墨高の控室に堂々と入っていった。どうやって係員の許可を取ったのだろうか。

 また話がそれた。一番の稲葉は外角低目を難なくセンター前ヒット。墨高の応援団員が田所に「相手が聖陵ともなると松川くらいじゃ通用しないんスかね」と聞いたが、田所は「いや、今日の松川はそんなに悪くねえよ」と慰めにならない慰めをしていた(プ一三巻九六頁)。調子が悪くないのにアッサリ打たれたんだから、結局は通用しないってことだろう。

 二番の藤岡がバントヒット(プ一三巻九九頁)、三番の矢木がレフトオーバーの二塁打で、これまで無失点の松川がアッサリと一点を取られた(プ一四巻一〇六頁)。

 無死二、三塁でバッターは捕手で四番、キャプテンの西田。敬遠気味にボールを先行させるが三球目、外角のボール球を強引に打ちにいって神宮球場のライト場外に消える大ファール(プ一三巻一一二頁)。大島工の四番の幸田がボール球を強引に打ちにいって大ファールしたときはシメシメと思った倉橋だったが、この西田の打球にはさすがに驚き、敬遠を指示した(プ一三巻一一三頁)。それにしても高校生の右打者が木製バットで神宮球場のライト場外に放り出すとは、敬遠したくなる倉橋の気持ちもわかる。高校時代の清原だって、金属バットでライト方向にあれだけの打球を飛ばしたことはなかった。

 無死満塁で五番の江原がレフトへ犠牲フライで二点目(プ一三巻一二二頁)。その後さらに一点を追加するが、初回はなんとか三点で食い止めた(プ一三巻一三四頁)。
 二、三回はなんとか無失点で切り抜けた松川だったが、四回にまたつかまる。八番の矢木(三番の矢木と同姓?)がライトオーバーのシングルヒット(プ一四巻七二頁)。九番の岩本の送りバントはピッチャー前の悪いバントだったが、二塁封殺を焦った松川のエラーで一死一、二塁となった(プ一四巻七六頁)。

 谷口は松川に「危機にめんしたときこそおちつけというが、チャンスのときだって同じことなんだからな」と諭している(プ一四巻七七頁)。これは日本人の特徴でもある。ピンチの時は誰だって緊張するが、日本人はチャンスの時にも極度に緊張する傾向がある。これはスポーツを楽しむということよりも、勝利を優先して失敗が許されない環境にあるからだろうか。

 一番の稲葉にはレフトオーバーの二塁打を打たれて一点追加。ここで松川は降板すると予想されたが、まだ続投だった(プ一四巻八二頁)。これにはさすがに聖陵ベンチも怒りを隠せなかった。キャプテンの西田は「シード校のオレたちがエースをたててるってえのに、いくら四戦目でへばっているとはいえ一年生をつかうなんざ不謹慎てもんだぜ」と言っている(プ一四巻八一頁)。

 このあたりにも谷口の意志が読み取れる。もちろん松川続投のいちばん大きな理由は五回戦のために自分を温存するということだろうが、谷口は勝利至上主義者ではないということだ。これがもし、墨高に監督がいたならば、間違いなく交代だろう。ベンチにいる監督は最悪のことを考えがちで、一回でも負けたら終わりの高校野球ではまず安全策をとる。だが実際にゲームに参加している谷口は、聖陵を逆転できるという手応えを感じていたはずだ。だからこそ、無謀とも思える松川続投の道を選んだと思える。一種のバクチでもあるが、この感覚は現場でしかわからないものかも知れない。

 結局この回、二番の藤岡のレフト前ヒットでさらに一点を失うが、その後の見事な連携プレイで併殺し、四回五失点で松川はマウンドを降りた(プ一四巻九八頁)。

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