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第五章 墨谷第二中学校 イガラシキャプテン編(キャプテン 九〜二二巻)−7

D墨谷二中×江田川中(地区予選決勝)球場=高野台球場

 墨谷二 010 000 001 7=9
 江田川 000 000 002 0=2 (延長一〇回)
  勝=近藤 負=井口

〈検証〉江田川との決勝戦

 墨二×江田川の決勝戦は墨二の先攻で始まった。先頭打者の曽根は井口の変化球に全く対応できず、アッサリ三球三振(キ一三巻三五頁)。ここでイガラシは一つの指示を出す。井口の変化球を見極めて、しかも打ち返すのは無理のようだから、見ることに専念しろということだ(キ一三巻三六頁)。つまり、三振してもいいから突っ立ってろということである。イガラシも随分大胆な指示を出す。つまり、一巡目は打つのを諦めるということだ。ということは、三回までは得点ができないということである。この思い切りの良さがイガラシの持ち味ということか。

 二番打者の牧野はこの言いつけを守り見送り三振(キ一三巻四一頁)、三番打者の久保に一球目を投げたところで、井口はイガラシの作戦を見破った(キ一三巻四四頁)。さすがは同窓生である。井口はからかうように二球続けてスローボールを投げると、さすがに久保は打ち返し、レフトへあわやホームランの大ファールを打った(キ一三巻四七頁)。これに懲りた井口は速球で久保と勝負、久保はバックネットへのファールを打った(キ一三巻四九頁)。

 イガラシは久保に、今までの作戦通り球を見ていけと指示するが(キ一三巻五〇頁)、久保が直球と変化球の見極めができていたとわかると作戦変更、久保に打っていけと指示した(キ一三巻五一頁)。結局、久保は三振に倒れるが(キ一三巻五五頁)、初回で井口の変化球をファールチップとはいえ当てられ、改めて江田川バッテリーは墨二打線を警戒した(キ一三巻五六頁)。

 墨二の先発は大方の予想に反して、今大会初登板のイガラシ(キ一三巻五八頁)。試合前のブルペンで投げていたのは近藤だけで、しかも近藤の速球を見た江田川の生徒が「あいつの球、井口さんの速球とかわんねえじゃねえか……」と言っているところを見ると(キ一三巻二四頁)、この頃は既に近藤の球のスピードは井口と互角になっていたようだ。またまたどうでもいいことで申し訳ないが、一塁側スタンドで発したこの江田川の生徒の声が、なんと三塁側ブルペンにいた近藤に聞こえている。

 このイガラシ先発は江田川ナインにとっても意外だったようで、キャッチャーが「あいつ、おれたちが青葉の五人の投手から四点とったの、しらねえんかね」と言っているところから(キ一三巻五九頁)、イガラシは青葉投手陣ほどのピッチャーだとは思われていなかったようだ。

 イガラシは先頭打者の吉岡にいきなりレフトへホームラン性の大ファールを二本も打たれるが(キ一三巻六五頁)、井口はこれがイガラシの作戦だと気付く。昔からイガラシは、高めのシュートで引っ掛けさせて相手のクセを読んでいたそうだ(キ一三巻六七頁)。中学生で、というより小学生時代からこんな芸当ができたのだから、イガラシの野球センスは凄い、というより恐ろしい。
 吉岡は井口の指示に従って高めのシュートはファールで逃げたが、この作戦をイガラシが見抜いて、落ちるシュート(シンカー?)で三振に打ち取られた(キ一三巻七二頁)。この試合はまるでキツネ(イガラシ)とタヌキ(井口)の化かし合いである。

 イガラシは初回を三者凡退で退け、久保が「ナイス、イガラシ」とイガラシに対して初めてタメ口をきいている(キ一三巻七六頁)。二人は同級生なのだから当たり前なのだが。
 二回表、墨二の攻撃は四番のイガラシから。井口×イガラシの宿命の対決である。二年前の墨二×江田川戦ではイガラシが試合に出場していなかったから、両者の対決は実現しなかった。
 イガラシは初回の作戦と同様、井口の球を見ていこうと考えたのか、たちまち2―0と追い込まれた(キ一三巻八一頁)。ところがこのとき、OBの丸井がさりげなくグラウンドに現れ(キ一三巻八〇頁)、なんと墨二ベンチからイガラシに対して檄を飛ばした(キ一三巻八二頁)。

 この後輩思いの丸井に胸を打たれたのか(?)イガラシは井口からレフトへ二本のホームラン性大ファールを打った(キ一三巻九〇頁)。この当たりにビビッたのか、井口は二回の無死無走者、2―2のカウントからイガラシをなんと敬遠してしまうのだ(キ一三巻九四頁)。ノーヒットノーランで全国大会に行くと豪語していた男にしては(キ一三巻一二頁)、あまりにも弱気すぎる。その理由を井口は、守備の拙さを晒したくない、と言っているが(キ一三巻九二頁)、井口にとってイガラシは特別な存在だったはずだ。できれば真っ向から勝負したかっただろう。チームの将として個人の欲求を抑えたということか。そう考えれば井口も大人になったということだが、それが作戦として妥当だったかどうかはわからない。一九九二年、夏の甲子園で星陵高校の松井秀喜を五打席連続敬遠をした明徳義塾高校に対し、高校野球連盟の牧野直隆会長(当時)は、せめて無走者では勝負して欲しかった、と異例のコメントをしている。

 イガラシにホームランを打たれても一点で済む。江田川の守備の拙さを突かれるのを恐れるのであれば、走者がいる状態の方がリスクが大きい。それならば、無条件で一塁走者を出す敬遠は、最もリスキーな作戦と言える。こればかりは作戦上の問題だからこれ以上は言及できないのであるが、『キャプテン』ファンである筆者からすれば、イガラシから逃げる井口の姿など見たくはなかった。ただ、井口のような強気な男ですら敬遠するという『キャプテン』の魅力があるのもたしかなことなのだが……。
 無死一塁で打者は五番の近藤。ここでイガラシは送りバントという作戦を取らなかった。近藤はバントが下手ということもあるのだろうが、井口のような速球投手に対しては、送りバントの成功率は低いのである。それを知っていたのかは知らないが、イガラシは盗塁を試みて、かろうじてそれを成功させた(キ一三巻一〇〇頁)。イガラシの盗塁が危うくアウトになりそうだったのは、近藤が盗塁のサインを見落としていて、援護の空振りをしなかったからだ(キ一三巻一〇二頁)。

 イガラシは二塁から近藤にコースを教えるサインを送っているが、近藤は細かいサインに対応しきれずに三振している(キ一三巻一〇六頁)。二塁ランナーが打者にコースを教えるサインは、管理野球と言われた頃の日本の野球では横行したが、国際的な野球ではマナー違反とされ、現在では禁止されている。そういう観点で言えば、近藤は、(サインなどで)細かいことをゴチャゴチャ言われるとワイの持ち味が活かされへん、と言い訳めいたことを久保に対して言っているが(キ一三巻一〇九頁)、野球というスポーツの本質を考えると、近藤が言っていることは正論である。

 しかし、この発言に反応した丸井が近藤を追い掛け回し、丸井が無許可でベンチ入りしていることに気付いた球審が、丸井に対して退場を宣告している(キ一三巻一一三頁)。それにしても丸井は、どうやってグラウンドに入場したのだろう?

 一死二塁で六番打者の小室。このとき、江田川バッテリーは二塁走者のイガラシがコースをサインで打者に教えていることに気付いた。ところで、江田川バッテリーの間では驚くべきサイン交換がなされていたことが判明する。

 なんと江田川バッテリーは、コースのサイン交換はするが、球種に対してはノーサインだということだ(キ一三巻一二二頁)。コースのサインより、球種のサインの方がよっぽど大事ではないのか?そもそも、井口のように速いストレートと、切れ味鋭い変化球(カーブとシュートの二種類)を持っている投手が相手ならば、受けるキャッチャーは相当大変だ。江田川は守備が弱点だが、キャッチャーのレベルはかなり高いに違いない。また、ノーサインのキャッチングを可能にしているのは、井口のコントロールの良さだろう。どんな球種が来るのかわからない上に、逆ダマだったら受けるキャッチャーはたまったものではない。井口のかつてのノーコンはウソのようだ。

 ただ、小室は井口を打てそうもなく、2ストライクと追い込まれてからイガラシは盗塁のサインを送った(キ一三巻一二四頁)。前年は五番を打った小室も、随分と信用を落としたものだ。逆に前年は下位を打っていたものの、この年は三番に抜擢された久保はかなりバッティングを向上させたと言える。

 小室は盗塁の援護の空振りで三振した(キ一三巻一二八頁)。しかしイガラシは盗塁で三進した(シャレではない)。それにしても、盗塁の援護のために三振させるなんて、普通の作戦ではありえない。イガラシは、相手のミスにつけ込む以外、得点できないと考えていたようだ(キ一三巻一二五頁)。

 二死三塁でバッターは七番の慎二。慎二はセーフティバントを試みた(キ一三巻一三七頁)。ここで井口は、キャッチャーが処理するべき打球を自分で捕りに行き、結局内野安打にして先制点を許している(キ一三巻一三九頁)。井口のバックに対する不信感が生み出した失点だ。野球における守備の重要性を改めて感じさせたシーンである。
 二回表に墨二が一点を先制した後は、井口とイガラシの投手戦が続き、一―〇のまま九回表の墨二の攻撃を迎えた。

 一番の曽根はセカンドフライに倒れて1アウト。しかし二番の牧野は江田川の拙い守備による二塁打(キ一三巻一五七頁)。この守備については、江田川の生徒でさえ「しかし、よくあんなんで青葉に勝てたもんだぜ……」と呆れている(キ一三巻一五八頁)。青葉戦での江田川のディフェンスは、井口一人でやっていたようなものらしい。

 一死二塁から三番の久保はライトへファールフライ(キ一三巻一六六頁)。これは江田川らしからぬファインプレーだったが、ライトが応援団に褒められている隙に二塁ランナーのタッチアップを許してしまった(キ一三巻一六七頁)。この守備にはイガラシも「いくら敵とはいえ、あれじゃ井口が気の毒になるぜ」と同情している(キ一三巻一六八頁)。

 二死三塁でバッターは四番のイガラシ。ここは当然、敬遠のケースだ。九回表で一点ビハインド、塁も空いている。次打者は当たっていない近藤だ。勝利を優先するなら、当然敬遠だろう。この場面で敬遠しても、高野連の会長だって文句は言わない。

 ところが、敬遠を指示するキャッチャーに対して(キ一三巻一六九頁)、井口はこれを拒否。そして井口はスゴイことを言う。「やつ(イガラシ)と一度も勝負せずに勝ちたくも負けたくもねえんでな」と言っているのである。なんと井口は、イガラシを全打席敬遠していたのだ。どんな局面かは不明だが、これこそ松井秀喜五打席連続敬遠事件に匹敵する。イガラシと勝負せずに試合を終わらせたくはない、というのは当然の思いだが、だったらそれまでになぜ勝負しなかったのか。井口は、守備の拙さを晒すまいとしたから、と説明しているが(キ一三巻一七一頁)、そんなことは墨二はとっくに知っている。今は二死だからバックを気にせずに思い切り勝負ができると井口は言うが、ランナーが三塁にいる今こそバックの守備が不安ではないのか。

 まあでも、正々堂々と勝負する姿勢はよろしい。ファンにとっては九回表、二死三塁で井口×イガラシの対決というのは応えられないシーンだ。しかも井口はイガラシと真っ向から対決するために、三塁ランナーがいるにもかかわらずワインドアップで投げ込んでいる(キ一三巻一七三頁)。最近はランナーがいなくてもセットポジションで投げるピッチャーが多いから、こういう姿勢は嬉しい。

 井口は気迫がこもった投球でイガラシを追い込むも、ファールで散々粘られ、ボールをこねて一呼吸、間をおいた(キ一三巻一八五頁)。イガラシは「そういや、あいつ間をとるのがうまかったからな」と昔のことを思い出しているが(キ一三巻一八六頁)、このあたりも井口は江夏にそっくりだ。

 そしてイガラシは遂に井口のカーブをとらえ、サード強襲の二塁打を放ち、待望の追加点を奪った(キ一三巻一九〇頁)。

 気落ちした井口だったが、次打者の近藤をなんとか三振に打ち取り(キ一三巻二〇三頁)、最終回の攻撃に望みを繋いだ。

 この試合では近藤は全く活躍できなかったが、これは近藤にとって屈辱的なことであり、だがそのことに気付く墨二ナインはいなかった(キ一三巻二〇四頁)。それが九回裏の攻防を大きく左右することになる。

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