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第五章 墨谷第二中学校 イガラシキャプテン編(キャプテン 九〜二二巻)−8

〈検証〉九回裏、江田川の怒涛の反撃

 九回裏、江田川の最後の攻撃。この回が始まる前に、イガラシは近藤に、俺が最後まで投げるから、と告げた(キ一四巻一二頁)。江田川打線は近藤のような速球には滅法強いとわかったからだ。この指示に近藤は珍しく素直に応じたが、この素直さが不吉の前兆だった。

 先頭は二番打者の大内。大内はセカンド後方へのフライを放つが、セカンドの慎二とライトの近藤が激突(キ一四巻二〇頁)、大内は一塁に出塁した(キ一四巻二一頁)。

 無死一塁で三番打者が穴と思われるライトの近藤を狙い打ち、またもや近藤の拙い守備によって二塁打になり、無死二、三塁と一打同点のチャンスを作った(キ一四巻三四頁)。

 四番の井口を迎えたところで、墨二はイガラシから近藤にスイッチ(キ一四巻三六頁)。ここで長打のある井口にホームランを打たれたら、逆転サヨナラ負けである。したがって、球が軽いイガラシよりも、重い球の近藤の方がその危険性が薄いというわけだ。ただ、筆者にとっては、投手・イガラシ×打者・井口という、夢の対決を一度は見たかったのだが、この対決は『キャプテン』では収録されなかった。

 井口は苦手の外角低目を強引に引っ張り、ライト前へのライナー。松尾は目測を誤り、なんとか捕球したものの、三塁ランナー、二塁ランナーそれぞれのタッチアップを許してしまい、一点を返されなおも一死三塁とピンチは続いた(キ一四巻四九頁)。ただ、井口を打ち取ったのは大きかった。

 江田川は五番のキャッチャーに代えて代打に藤木を送った(キ一四巻五一頁)。長打力がある五番に比べて、この藤木は随分細い。多分スクイズで来るだろうと、イガラシは読んだ(キ一四巻五二頁)。
 近藤は徹底的にくさいコースを突いたが、藤木はことごとく見送った。一度は三塁ランナーが飛び出してしまい、あわやアウトのシーンがあったが、墨二ナインは、江田川はノーサインでスクイズをするのか?と勘ぐったほどだ(キ一四巻六〇頁)。いくら細かい策が嫌いな井口でもノーサインでスクイズはできないだろう。このとき、ベンチの井口・三塁ランナー・三塁コーチャー・打者の藤木が人差し指を立てているが、一体なんのサインだったのだろう?単なる撹乱だったのだろうか。

 カウント0―2からスクイズを読んだイガラシは外すように指示したが(キ一四巻六一頁)、藤木は反応せず0―3となった(キ一四巻六三頁)。こうなると逆転のランナーを出すわけにはいかない。イガラシは、近藤にはド真ん中に投げるように指示し、内外野とも前進守備をとるように指示した(キ一四巻六四頁)。内野の前進守備はスクイズ警戒でわかるが、外野までなぜ前進させたのだろう。ポテンヒットを恐れていたのだろうか。なにしろ近藤の重い球だ。外野の頭を越されることは考えていなかったのかも知れない。
 藤木はバントの構え(キ一四巻六五頁)。近藤の投球と同時に三塁ランナーはスタートした。
 スクイズだ!とばかりにイガラシはホームに突進したが、ここで三塁ランナーの足がピタッと止まった(キ一四巻六六頁)。
 藤木はバントの構えからバットを引き、なんと0―3からバスター(キ一四巻六七頁)。完全にウラをかかれた墨二守備陣はこの打球に対応できず、センターオーバーの同点三塁打となった(キ一四巻七〇頁)。イガラシは井口のことを知り抜いていただけに、かえって意表を突かれてしまったと言える。イガラシは井口が細かい策を使ってくるとは思わなかったのだ。

 二―二の同点に追いついて、さらに一死三塁と、江田川が一打サヨナラのビッグチャンス。ここで江田川は代打に石田を送ってきた(キ一四巻七三頁)。この石田、カウントが0―2になった時に突然「阪本」と改名しているが(キ一四巻八二頁)、本書では最初に出てきた「石田」という名前でこの選手を呼ぶことにする。

 イガラシは近藤に、歩かせるつもりでくさいところを徹底的に突けと指示(キ一四巻七五頁)。三塁ランナーが還ればサヨナラなのだから、後ろのランナーは勝敗には関係ないし、満塁までいってもその方が守りやすい。
 石田はスクイズの構えをして墨二守備陣を揺さぶるが、この作戦を三塁ランナーの藤木が大声でバラしてしまう(キ一四巻八一頁)。おかげでスクイズはないだろうと読めたイガラシだったが、石田はなおもバントの構えで揺さぶる(キ一四巻八四頁)。0―3から藤木と同様バスターに出た石田が放った打球はライトへのファールフライ。タッチアップを恐れた松尾はこの打球を見送り、ファールとなった(キ一四巻八四頁)。
 しかし近藤は、打球を捕らなかった松尾に対して怒った。近藤は、ファールフライはタッチアップの対象にならないと思っていたのだ(キ一四巻八九頁)。近藤の、あまりのルール無知に呆れた小室とイガラシだったが、野球のルール説明をしている場面ではなかったので、バッターを歩かせろと指示した(キ一四巻九〇頁)。

 指示通り、近藤は歩かせようとしたが、なんとワインドアップで、しかも山なりのボールを投げてきた(キ一四巻九二頁)。もしこの時、江田川にスクイズのサインが出ていたら完全にサヨナラ負けである。
 結果はスクイズのサインが出ていなかったので単なる四球になったが、怒ったキャッチャーの小室がマウンドに突進した(キ一四巻九三頁)。しかし小室が激怒しながら説明しても、近藤には事の重大さがわかっていなかった(キ一四巻九四頁)。でもイガラシは今説教してもムダと考え、むしろ小室をたしなめた。イガラシにとって、今の状況をどう切り抜けるかの方が大事だったのだ。このあたりのキャプテンシーはさすがである。

 一死一、三塁で、井口は七番の小林の代打に打撃では期待できない安田を起用した(キ一四巻九七頁)。なぜ打撃が弱い選手を代打に送ったかというと、どうせ満塁策だから誰を代打に送っても同じだろうと思ったからだ。だったら代打を送らなければいいだろうと思うのだが、井口によると、小林はイガラシにクセを見抜かれているので、勝負してくるかも知れないと読んだのだ(キ一四巻九六頁)。強力打線の江田川の中にあって、小林は信用されていないか、あるいはスランプだったのかも知れない。

 安田はバントの構えで墨二を揺さぶるが、その構えではバントができないと判断(キ一四巻一〇一頁)、さらにバントのカムフラージュのために投手寄りに立っていたので、近藤の速球を打つつもりはないのだろうと小室が見破った(キ一四巻一〇二頁)。

 どうやら安田は囮(おとり)らしいと気付いた墨二は満塁策から一転して勝負、たちまち2―2と追い込んだ。ここで江田川は代打に山田を送った(キ一四巻一〇六頁)。この駆け引きは、まさしくキツネとタヌキの化かし合いである。
 2―2から打席に立った山田はいきなりスクイズ!しかし三塁ランナーの動きから察知したイガラシは「はずせa」と近藤に言った(キ一四巻一一〇頁)。大きく外した球は小室がなんとか捕り、ランナーも三塁に戻って局面は変わらなかった(キ一四巻一一一頁)。それにしても山田はよく見送ったものである。普通なら外されてもバントにいくものだ。バントにいっていれば、間違いなく三振だっただろう。
 2―3となり、スリーバントを任されるほどバントが上手いと思われる山田に対し、イガラシは近藤に敬遠を命じる(キ一四巻一一三頁)。しかし近藤は敬遠を嫌がった。ペタジーニを敬遠した時の、上原浩治のような心境だったのだろうか。だが、状況は全く違う。大体、近藤は石田に対して敬遠したではないか。なぜこの期に及んでダダをこねるのだろう。

 しかし、そんな近藤に対してもイガラシは寛容に受け止めた。なんとたった一球の、敬遠のためだけに投げるのに、リリーフすると言い出したのだ(キ一四巻一一三頁)。
 イガラシはクールというか冷たい印象があるが、そうではないようだ。事実、敬遠のためだけに登板したイガラシに対して、江田川応援団がヤジを飛ばしている(キ一四巻一一六頁)。イガラシは後輩の近藤の代わりに、屈辱を一身に受けたのだ。つまり、クールに見えて、実は人情に厚い人物なのだ。

 などと思っていると、イガラシの人物像を見誤ることになる。

 イガラシにとって、勝つためなら自分が恥をかこうが、どうでもいいことなのだ。イガラシが敬遠役を買って出たのは、このまま近藤に敬遠させても、悪影響を及ぼすだけだと考えたからである。勝つためには近藤の力が必要で、その力を活かすにはどうすればいいか、そのことしかイガラシの頭には無いのだ。事実イガラシは、近藤の身勝手な言動に対して怒っている小室に「(近藤は)使いようではダメにでもなるし、とんでもない力を発揮する男なんだよ、あいつは」と諭している(キ一四巻一一四頁)。イガラシは、勝利のためには冷静に最善の判断を下す、極めてクールな男なのだ。

 かくして、イガラシは山田を歩かせるが、2―3からなのになぜか二球ボールを投げている(キ一四巻一一八頁)。球審がカウントを間違えたのだろうか。
 一死満塁で墨二のマウンドには近藤が戻り、江田川は遠井を代打に送ってきた(キ一四巻一二〇頁)。遠井は文字通り、江田川にとって代打の切り札である。かつての阪神で言えば、代打の神様・八木といったところであろうか。間違えても川藤ではない。
 初球ボールの後、二球目は遠井が打って出て、バットが折れるファール(キ一四巻一三〇頁)。力と力の勝負だ。バットを立てて構える遠井は、高めが苦手と判断して、イガラシは高めを徹底的に突けと指示する(キ一四巻一三二頁)。

 高めを徹底的に突く近藤に対し、遠井も徹底的にファールで逃げる。コントロールミスをすることなく高めに投げ続ける近藤もさすがだが、近藤の速球をファールし続ける遠井も大したものだ。

 数えてみると、遠井はなんと一九球も粘った。ちなみに、日本プロ野球で一人の打者に対する最高の投球数は一九球である。遠井の一九球目はファールだったのだから、遠井の記録はプロ野球を超えたことになる。だからどうだと言われても困るのだが……。そして遠井が打ったファール数は実に一六球にも及ぶ。都市伝説では「三六球ファールを打つとアウト」というのがあるが、もちろん野球にはそんなルールは無い。
 それはともかく、一九球も粘って疲れが出た遠井に対し、井口は高めでも打って出てよいと指示を出した(キ一四巻一六八頁)。

 そして二〇球目、高めを打った遠井の打球はセンター前へ落ちた(キ一四巻一七三頁)。普通ならここでサヨナラだが、タッチアップを考えた三塁ランナーのスタートが遅れ、センターの久保から中継の慎二へ(キ一四巻一七四頁)、さらにホームに返球されて、三塁ランナーの藤木はホーム寸前でタッチアウトとなった(キ一四巻一七五頁)。

 それにしても、小室はなぜわざわざタッチにいったのだろう。満塁だからフォースプレーなのに。ひょっとして、ワンバウンドとわからずに、タッチアップと勘違いしたのだろうか。いずれにしても記録はセンターゴロだが、センター前に落ちた打球をホームでアウトにした墨二の守備は凄い。
 二死満塁となり、打者は九番の田村。一四人ルールにより、もう代打はない。二―二と同点になってさらに一死三塁の場面では、押せ押せムードの江田川が絶対有利だったが、この場面では五分五分だ。
 田村に対しては外角低めを徹底的に突けとイガラシは指示(キ一四巻一七九頁)。近藤は指示に従って田村をたちまち2―0と追い込むが、田村はなんとかファールで粘る。

 ここで近藤は、イガラシが恐れていたムラ気(キ一四巻一四六頁)を出し、意表をつこうと勝手に内角低めに投げ込んだ(キ一四巻一九三頁)。
 得意のコースに来たため、待ってましたとばかりに強振した田村の打球は三遊間への、あわやサヨナラヒットのライナー。これをサードのイガラシが横っ飛びでスーパーキャッチ(キ一四巻一九五頁)。墨二は絶体絶命のピンチを切り抜けた。

 もはやこの時点で勝負あった。延長戦に入り、一〇回表の墨二の攻撃は、レギュラーが四人も入れ替わった江田川の守備は前にも増してボロボロで、失点を重ねて井口は遂に力尽き、一挙に七点も失った(キ一四巻二〇一頁)。なお、この時の描写で、あたかもホームランのように曽根と久保がベース間を歩いているシーンがあるが、誰が打ったのかわからないし、四球の可能性もあるので、ホームラン記録には加えていない。
 一〇回裏、江田川は反撃の力も無く、墨二が全国大会行きの切符を勝ちとった(キ一四巻二〇三頁)。

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