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第五章 墨谷第二中学校 イガラシキャプテン編(キャプテン 九〜二二巻)−10

 E墨谷二中×白新中(全国大会一回戦)球場=高野台球場

 墨谷二 000 000 0711=18
 白 新 100 000 200=3
  勝=イガラシ(兄) 負=大石 本=イガラシ(兄)(大石)

 全国大会一回戦、墨二の相手は八回目出場の名門・白新。白新のエース・遠藤はスローボールで強打の墨二打線を翻弄し、七回までノーヒットに抑えた。
 墨二の先発の近藤は初回に白新のトリックプレーにより一点を失い、七回には白新打線のミート打法につかまって、さらに一失点で降板。イガラシ(兄)にスイッチしたが、スローボールを打たれてさらに一点を追加され(自責点は近藤)、七回を終わって〇―三と墨二には不利な試合展開となった。
 しかし、イガラシ(兄)のスローボールは白新打線にその打ち方を教えてもらうためで、八回表、墨二はイガラシ(兄)の初ヒットを足掛かりに一点を返し、遠藤を降板させた。白新は左腕の速球派・松原、さらに右腕の大石と繋ぐが、墨二打線が遂に爆発。八回表に七点、九回表に一一点を奪い、終わってみれば一八―三の大差で墨二が白星発進した。

 〈検証〉全国大会初戦・白新戦

 全国大会の初戦、墨二は全国選手権大会八回目出場の白新と対戦した(キ一五巻一二〇頁)。この時アナウンサーは「過去七回出場」と言っているから八回目出場と認定したのだが、ちょっとややこしい言い方だ。いずれにしても、全国大会に七回も出場するのは伝統校と呼ばれるようだ。全国大会三度の出場だった広島の港南も(墨二戦の大会を合わせると四度?)伝統校と呼ばれているくらいだから(キ六巻八三頁)。

 だがこの白新、どこの県の代表かは不明だ。みんな標準語なので、首都圏なのだろうか。
 ところでこの「白新」という校名、見覚えがないだろうか。そう、『ドカベン』に登場する山田太郎のライバル、不知火守がエースを務める高校名だ。『ドカベン』の白新高校は川崎市内にあるという設定なので、『キャプテン』の白新中学もやはり神奈川県代表なのだろうか。しかし、川崎市はおろか、神奈川県にすら「白新」という地名は存在しない。

 ところが、新潟市には「白新」という地名があり、「白新中学」という中学校も実在するのだ。なにを隠そう、『ドカベン』を描いた水島新司先生は、なんとこの白新中学の卒業生なのだ。当然、「白新高校」もそこから取ったのだろう。ちなみに山田太郎が通う「明訓高校」は、水島新司先生が進学希望していた「新潟明訓高校」から取っているのは有名な話。

 水島新司先生とちばあきお先生は、草野球でよく試合をしていたそうだ。同じ野球マンガを描く仲間として、水島新司先生がちばあきお先生に「白新中学」を贈ったのかも知れない(?)。
 いずれにしても、『キャプテン』の白新中学がどの県にあるかは不明だ。白新ナインに新潟訛りは全く無い。
 試合は墨二の先攻で始まった。白新のエース・遠藤はスローボールを駆使する軟投派。簡単に打てそうな投手だが、出塁率七割のトップバッター・曽根が(キ一五巻一二二頁)ボール球に手を出してしまうなどしててこずり、初回は三者凡退(キ一五巻一三七頁)。二回表には四番のイガラシまでがボール球に手を出してセンターフライに倒れた(キ一五巻一七二頁)。イガラシは遠藤の特徴を、全く同じフォーム、同じテンポでいろいろな球を投げ分けるピッチャーだ、と分析した(キ一五巻一七三頁)。イガラシは狙い球を絞って打席に立つよう指示したが、遠藤の攻略は難しかった。

 一方、墨二の先発は近藤。遠藤とは対照的な投手だ。一回裏、白新は一番打者の俊足・児玉が近藤の速球を巧くとらえてライト前ヒット(キ一五巻一四四頁)。二番の田辺は確実に送りバントを決めた(キ一五巻一四八頁)。
 三番の松田はしぶとくライト前ヒットで一死一、三塁と思われたが、その松田が一、二塁間に挟まれてしまった(キ一五巻一五五頁)。ランダウンプレーになったが、この隙に児玉が一気にホームを突き、意外な形で白新が先制の一点を挙げた(キ一五巻一五六頁)。白新には傑出した選手こそいないのだが、基本プレーと走塁、守備力に優れた、名門らしい洗練されたチームだ。チームカラーは金成に似ているが、チーム全体のレベルはずっと上だろう。
 二死二塁でバッターは四番の遠藤。立ち上がり、コースの決まらない近藤の速球をジャストミートしたが、イガラシの超ファインプレーによるサードライナー、二塁ランナーが飛び出していたのでダブルプレーとなり、墨二はピンチを脱した(キ一五巻一六一頁)。

 試合は終盤まで進み、墨二は七回表を終わった時点でなんとノーヒット(キ一五巻一八七頁)。遠藤を全く打てなかった。ところで、この七回表は九番の松尾から始まっている。パーフェクトの場合、七回は一番からだから、墨二はこの時点で最低八人のランナーを出していることになる。それだけ四死球やエラーが続出していたのだろうか。遠藤のコントロールは良く、白新の守備もいいので、ちょっと考えられないのだが。

 七回裏、白新は一番の児玉からの攻撃。児玉はライト前へポテンヒット(キ一六巻一三頁)、二番の田辺が送りバントと(キ一六巻一六頁)、初回のVTRを見ているような攻撃だった。
 一死二塁から三番の松田は近藤の内角球を完璧にとらえ、レフトオーバーの二塁打で貴重な追加点を取った(キ一六巻二四頁)。ここで墨二は近藤を諦め、イガラシがリリーフし(キ一六巻二六頁)、近藤がライトへ、ライトの松尾がサードに入った。

 一死二塁で迎えるバッターは四番の遠藤。このときイガラシは、ピッチャーが近藤の時とバッティングフォームが違っていることに気付いた(キ一六巻三〇頁)。それまでの白新の打者は近藤の速球についていくため、構えをコンパクトにして、スタンスはオープンにしていた。それがイガラシに対しては、構えは普通でスタンスもスクエアだ。どうやらこれが普段のバッティングフォームらしい。
 そこでイガラシは秘策を思いついた。遠藤に対してスローボールで攻めたのだ(キ一六巻三二頁)。近藤の速球から、スローボールに変えることによって、白新打線のリズムを狂わそうとしたのか?

 そうではなかった。遠藤はこのスローボールによって打法を変えた。近藤を攻めた時のように構えはコンパクトになったが、スタンスはクローズドになったのだ(キ一六巻三五頁)。遠藤はこのフォームでセンター前ヒットを放った(キ一六巻三六頁)。

 ピンチは一死一、三塁と拡がったが、イガラシの目的はまさしくここにあった。白新の選手たちはチームに遠藤がいるため、スローボールを打つ秘訣をちゃんと知っていた。イガラシはそれを逆に利用し、スローボールの打ち方を白新打線から盗もうとしたのだ。墨二ナインもその趣旨がわかり(キ一六巻三八頁)、イガラシはさらにスローボールの投球を続けた。

 しかし一死三塁から五番打者にサードへの内野安打を打たれ、三点目を献上した(キ一六巻四五頁)。これは打撃フォームに気を取られ、打球に対応できなかった松尾のチョンボである。しかしイガラシはこの失点を、スローボールの打ち方を教えてもらった白新に対するお礼、と寛容に受け止めた(キ一六巻四六頁)。

 これ以上の失点は許されない墨二は、イガラシが近藤に負けぬ速球と(キ一六巻四八頁)変化球、さらにファースト佐藤のファインプレーによる併殺でこの回を二失点に食い止めた(キ一六巻五三頁)。イガラシも本気を出せば、近藤並みの速球を投げられるようである。

 八回裏、墨二の攻撃は三番の久保から。さっそく白新打法を取り入れた。イガラシによると、コンパクトなファームの理由は、いろいろな変化に対応するためだそうだ。速球に対しても同じようなフォームだが、こちらは速球についていくためだろう。さらに、構えがクローズドスタンスなのは、打ち急ぎを防ぐためだとイガラシは分析した(キ一六巻五五頁)。逆に速球に対しては、振り遅れないためにオープンスタンスにしているというところか。

 だが、筆者の感覚では完全に逆である。オープンスタンスの方が緩いボールに対応しやすいし、クローズドスタンスの方が速球に対して振り抜きやすい。速球に対してオープンスタンスだと、どうしても手打ちになってしまうのだ。まあ筆者も、プロの打者ではないので、それが正しいのかどうかはわからないが……。

 それはともかく、久保は白新打法を取り入れたが、児玉のファインプレーによるセカンドライナーに倒れた(キ一六巻六七頁)。
 四番のイガラシもコンパクト打法。こんな小さな構えでも、イガラシはレフト場外への大ファールを打った(キ一六巻七七頁)。第一章でも書いたが、高野台球場は江田川との地区予選決勝から約一〇日、外野席は二層式から一層式に変えられ、内野席と外野席に大きな空間が生じた。たった一〇日間でどんな工事をしたのだろうか。また、なんのために。

 イガラシはスローボールを巧くとらえ、センター前へ初ヒット(キ一六巻八〇頁)。
 一死一塁でバッターは五番の近藤。このとき、遠藤に異変が起きていた。遠藤の変化球がスッポ抜けるようになったのだ。イガラシによると、セットポジションになってフォームがぎこちなくなったそうだ(キ一六巻九〇頁)。それまで少なくとも八人のランナーが出ていたはずだから、セットポジションの機会は多くあったはずだが……。
 それはともかく、近藤は遠藤の変化球を見事に打ち返し、レフトフェンス直撃の長打コース(キ一六巻九二頁)。しかし近藤は打った瞬間ホームランと思ったらしく、まともに走らなかったのでシングルヒット止まりだった(キ一六巻九三頁)。

 だが、近藤のこの一打がエースの遠藤をマウンドから引きずり降ろした。左腕の速球派・松原をリリーフに送ったのである。さらに白新の監督は大石にブルペン行きを命じた(キ一六巻九四頁)。このとき、四番打者でもある遠藤がそのままベンチに下がったかどうかは定かではない。

 一死一、三塁でバッターは六番の小室。松原は球が速いとはいえ、遠藤のスローボールよりは打ちやすそうだった。しかし、イガラシから「打ってよい」という指示が無かったので、小室は絶好球を見逃し続けた(キ一六巻一〇三頁)。これじゃあまるで指示待ち族だ。そうでなくても小室はイガラシと同じ三年生で、しかも投手をリードするキャッチャーなのに。サインに頼りきった野球の弊害と言える。
 カウント2―2から打って出た小室は力んでしまいセンターフライ(キ一六巻一〇七頁)。イガラシはタッチアップでなんとか生還したが(キ一六巻一〇九頁)。二死一塁となった。
 バッターは七番の慎二。兄のイガラシから力むなとアドバイスを受けた慎二は(キ一六巻一一〇頁)、センター前にポテンヒット(キ一六巻一一五頁)。

 二死一、二塁で八番の左打者の佐藤。なんとここで白新の監督は松原を降ろし、リリーフに大石を送る(キ一六巻一一六頁)。なぜ松原を降板させる必要があるのか?松原は決して打たれたわけではない。小室は犠飛になったとはいえセンターフライに打ち取り、慎二はポテンヒットだったではないか。しかもバッターは左の佐藤である。代えるにしても、佐藤に対して投げさせた後でもいいではないか。さらにこの大石は松原ほどの球速は無い(キ一六巻一一七頁)。大石は右のスリークォータースローで、左打者の佐藤にとっては見やすいはずだ。事実、佐藤は大石のことを「あんなのをリリーフにつかうなんて、白新の監督も正気なんかね」と心の中で思っている(キ一六巻一二〇頁)。

 佐藤は大石からライトフェンス直撃の当たり(キ一六巻一二一頁)。この一打で墨二打線に火が点き、この回は一挙に七点を取って逆転した。二死一塁の段階では一―三と墨二が二点ビハインドだったのだから、白新は完全に継投策を失敗したと言える。
 墨二は九回表に一一点を取り、結局は一八―三の大差で勝利するが(キ一六巻一二五頁)、白新の監督の采配ミスが無ければ、初戦敗退していたかも知れない。
 動かなくていいときに監督が動くと、勝てる試合も大敗してしまう、野球の怖さを思い知らされた一戦だった。

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