トップ野球少年の郷第73回
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第六章 墨谷高等学校 谷口三年生編(プレイボール 一九〜二二巻)

 ☆戦績

  @秋季予選一回戦 ○墨谷 ?―? 横 川 ● 勝=? 負=横川@
  A秋季予選決勝戦 ○墨谷 1―0 東都実業● 勝=谷口 負=工藤
  B秋季大会一回戦 ○墨谷 ?―?  ?  ● 勝=? 負=?
  C秋季大会二回戦 ○墨谷 ?―?  ?  ● 勝=? 負=?
  D秋季大会準々決勝●墨谷 ?―?  ?  ○ 勝=? 負=?
  ※練習試合    ●墨谷 5―19 谷 原 ○ 勝=村井 負=谷口

 ☆主なメンバー
  墨谷高
   谷口タカオ(三年)投手、三塁手・右投右打 エースで四番、キャプテン。
   倉橋豊(三年)捕手・右投右打 谷口の恋女房にして名参謀。
   加藤正男(二年)一塁手・左投左打 新チームになってポジション獲得。
   丸井(二年)二塁手・右投右打 朝日高から墨高に編入。
   松川(二年)三塁手、投手・右投右打 サードにコンバート。リリーフも務める。
   横井(三年)遊撃手・右投右打 セカンドからショートにコンバート。
   戸室裕之(三年)左翼手・右投右打 新チームになってフル出場。
   島田(二年)中堅手・右投右打 俊足外野手。
   鈴木(三年)右翼手・右投右打 セカンドコンバートに失敗。
   半田(三年)右翼手・右投右打 鈴木を抜いて正ライトを務める。
   イガラシ(一年)遊撃手・右投右打 墨高に入って野手に専念。
   井口源次(一年)中堅手、投手・左投左打 登板はないが、期待の左腕。
   片瀬(一年)投手・右投?打 リトルリーグの優勝投手。
   松本(一年)右翼手・右投?打
 他の学校
  佐野(二年)投手・左投左打 青葉学院中出身で、東実の秘密兵器。
  村井(三年)投手・左投左打 選抜出場校・谷原の本格派左腕。
  佐々木(三年)捕手・右投右打 谷原のキャプテンで強打者。

 ○丸井、墨高に編入

 三年生が引退し、新チームを結成した墨高は、ギリギリ人数の九人で、これまで出場できなかった秋季大会を目指すことになった。
 しかし、朝日高で軟式野球をやっていた墨谷二中出身の丸井が墨高に編入。課題だったセカンドのポジションが固定し、墨高は一〇人で秋季大会に臨むことになった。

 〈検証〉墨高、新チーム結成

 夏の大会が終わり、三年生の中山、山本、山口、太田の四名の送別会が行われた。ところが突然、その送別会に田所を含む墨高野球部のOB連中が参加することになった(プ一九巻二〇頁)。
 このOB連中はとんでもないご馳走を用意してくれた。『プレイボール』世界では最高級料理のうな丼、餃子、角屋の菓子、リンゴ、バナナ、ビール、ジュースであった(プ一九巻二四頁)。もちろんビールはOB用で、品行方正の墨高ナインが飲酒などするわけがない。いつもながら『プレイボール』に登場する食い物はみんな美味そうだ。
 OB連中はもう一つのプレゼントを用意していた。広い河川敷のグラウンドを週二回、一年間借り切ったのである(プ一九巻三四頁)。谷口や他のナインにとって、これ以上嬉しいプレゼントはなかった。学校のグラウンドでは狭くて力一杯打つことができなかったからである。

 あまりにも嬉しかったのか谷口は、この送別会で「いろは」という、かなり恥ずかしい尻振り踊りを披露している(プ一九巻四九頁)。当然、高校生であるからシラフである。でも、谷口にとっては「赤とんぼ」を歌うよりはマシだったのかも知れない。
 家に帰って父親にそのことを話すと、いろはなんざもう古いぜ、と言って「電線音頭」を踊りだした(プ一九巻六六頁)。「電線音頭」は一九七〇年代後半に流行った踊りである。

 あまりにも子供っぽいオヤジの姿を見せつけられたあと、丸井から電話が入った。なんと、墨高の編入試験に合格したというのだ(プ一九巻七一頁)。でも、丸井はいつ勉強していたのだろう。勉強はおろか、朝日の軟式野球部の練習すらおっぽり出して墨谷二中の応援ばかりやっていた印象があるのだが。

 翌日、谷口はナインにそのことを報告した(プ一九巻七三頁)。三年生が抜けたばかりだけに、まさしく朗報だった。ただ、普通は転校しても、すぐに公式戦には出られないという規則がある。これは引き抜きを防止するためだ。ただし、やむを得ない事情がある場合は別だが。丸井の場合はやむを得ず墨高に転校するわけではない。高野連の許可は降りたのだろうか。ただ、丸井が通っていた朝日には硬式野球部が無かったので認められたのかも知れない。
 三年生四人が抜けた新チームは、丸井を除いて九人ピッタシだった(プ一九巻七七頁)。あれ?四人抜けて九人ということは、旧チームは一三人だったということか。でも、五回戦進出の褒美で田所に奢ってもらった時は田所を除いて一四人だったし、その後、専修館×三山の試合を見に行ったときは、半田がアイスクリームを一五個買っていたぞ(第四章参照)。
 たしかに夏の大会では、松川らと一緒に入部してきた村瀬の姿はなかったが、それでも一四名。あと一人はどうなったんだ?

 それで新チームの九人の顔ぶれを見てみると、村瀬と一緒に入部してきた須藤の姿が無かった。しかし須藤は村瀬と違って夏の大会もずっとベンチ入りしていたし、一塁コーチを務めていた。いつの間に退部したのだろう。
 さらに、送別会にはちゃんと出席していた(プ一九巻二〇頁)。しかし、送別会が終わり、帰宅した谷口は自分の部屋で「これまでベンチをあっためてきた四人を、ひとりの落伍者もださずにレギュラーとして、そだてなければならないわけだ」と独り言を言っている(プ一九巻六八頁)。つまり、この時点で須藤は退部していたわけだ。あの楽しい送別会の途中か、あるいは終わった後に須藤は退部届を提出したとしか考えられない。ただでさえギリギリの人数なのに、谷口は引き止めなかったのだろうか。この時点では丸井が入部するとはわかっていなかったのだから、九人ギリギリということは半田をレギュラーとして使わなければならないということだ。強肩が売り物だった須藤の方が、半田よりも戦力になることは確実である。須藤はどんな理由で退部したのだろう。

 九人ギリギリなのでやむなく半田をライトに使い(プ一九巻八〇頁)、鈴木をセカンドにコンバートした(プ一九巻七九頁)。丸井が入ってくるとはいえ、硬球初心者なのだから完全に当てにはできなかったのだ。
 しかし、セカンドの鈴木も、ライトの半田も、とても試合で使えるような状態ではなかった。そんな時、丸井が墨高にやってきた(プ一九巻九〇頁)。丸井は練習を手伝うことになり、硬球を自在にさばくのを見た谷口は(プ一九巻一〇三頁)、丸井をセカンドに入れてノックしてみた。丸井は軟式時代と変わらない球さばきを見せた(プ一九巻一〇六頁)。丸井は近所の野球好きにノックしてもらって、硬球の練習をしていたのだ(プ一九巻一一九頁)。
 この日、墨高野球部には重大なタイムラグが生じている。丸井が加藤に鈴木の名前を訊くと、加藤は「鈴木ってん

けど……」と答え、丸井は「よびすてにするところをみると、オレッちと同じ一年生ってわけだな」と言い、加藤は「ああ、なんで?」と肯定している(プ一九巻九八頁)。
 鈴木は半田と一緒に一年の秋、即ち前年に入部している(プ八巻四八頁)。同じ日、当時一年の倉橋も入部しているのだ(プ八巻七七頁)。つまり鈴木と半田は、倉橋はもちろん、当時一年生キャプテンだった谷口とも同級生である。
 しかし、このタイムラグは以前からあった。半田は谷口に対してずっと敬語だったし、「倉橋さん」と言っているシーンもある(プ一二巻三五頁)。ただし、鈴木は谷口と同級生の戸室に対してタメ口で話していることもあった(プ一二巻一六六頁)。
 いずれにしても、去年一年生だったヤツが今年も一年生ということはありえない。あるとしたら留年したということになるが、運動部の場合は留年に関係なく、年齢で先輩後輩が決まる。先輩が二年留年しても、後輩が先輩になるという下克上はありえないのだ。この場合、鈴木と半田が留年していたとしても、加藤にとって鈴木と半田は相変わらず先輩ということになる。
 しかし丸井は加藤の発言を真に受けたのか、入部後も鈴木と半田に対してはタメ口で押し通している。半田などは丸井に怒鳴られ、思わず後輩の丸井に向かって敬語になったほどだ(プ二〇巻一三三頁)。先輩後輩の礼儀に厳しい丸井も、自分のことだと先輩に対しても実力の無い者に対しては偉そうになるのだろうか。また、この一件以降、鈴木は戸室に対して敬語で話している(プ二一巻六五頁)。なお本書では、鈴木と半田は、谷口、倉橋、横井、戸室と同級生として扱う。そうしないと辻褄が合わない。
 同級生の話でいうと、谷口や倉橋と同級生の割には影の薄い横井(それでも戸室よりマシだが)が、新チームになって初めての練習後、一年生たちに向かって「なんてザマだ、この程度の練習でa」と先輩レギュラーらしくハッパをかけている(プ一九巻一一〇頁)。かつては谷口の練習についていけなかった男とは思えない成長ぶりだ。

 丸井が加入したおかげで、セカンドは丸井に任せ、鈴木を古巣のライトに戻して半田と競わせる方針をとった(プ一九巻一一六頁)。普通に考えれば半田よりも鈴木の方が上だろう。ただ、谷口の目からは、鈴木よりも半田の方がやる気があるように見えていた。

 新チームになって以来、内野ノックは谷口が、外野ノックは倉橋が担当していた。だが、外野を見てみたいという谷口の申し出により、この日は谷口が外野担当になった(プ一九巻一三二頁)。
 外野ノックを担当した谷口は、半田の進歩の無さに愕然とした。半田は、鈴木がライトに戻って来る前は責任を感じてヘタなりにボールに食らい付いていたのであるが(プ一九巻一三二頁)、鈴木がライトに来るとポジションを譲ろうと見えるフシがあり、やはり谷口がノックしてもライトのポジションを諦めようとしていた(プ一九巻一四三頁)。
 しかし谷口はそれを許さず、なぜ半田の守備がなかなか上達しないかを考え続けた。そこで一つ思い当たった。半田は硬球を怖がっているのではないかということだ(プ一九巻一四四頁)。そこで谷口は硬球を素手で捕らせる練習を半田に課した(プ一九巻一四五頁)。

 この特訓風景を見て、倉橋は谷口のやり方に感心した(プ一九巻一四六頁)。実は倉橋は谷口の采配を甘すぎると思い、不満を持っていた(プ一九巻一三四頁)。谷口は、口で厳しく言わないだけで、その練習内容はハードなものだった。体育会気質では、主将がガンガン強面で部員を脅すという風潮があるが、谷口のリーダーシップはそれとは無縁の合理的なものだった。やはり谷口は素晴らしいスキッパーだと言える。半田はこの特訓により自信がつき、鈴木に代わってライトを任されるようになった。
 河川敷グラウンドの初めての使用日、墨二ナインはOB会の連中と親善試合を行った(プ一九巻一五三頁)。この試合では半田は好プレーを見せたし(プ一九巻一六五頁)、親善試合からフリーバッティングに変わったとき(プ一九巻一七九頁)谷口からレフト前ヒットを打った(プ一九巻一八三頁)。
 墨高にとって初挑戦となる秋季大会は目前に迫っていた。

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