トップ野球少年の郷第74回
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第六章 墨谷高等学校 谷口三年生編(プレイボール 一九〜二二巻)

@墨谷高×横川高(秋季ブロック予選一回戦)球場=東実高グラウンド

 墨高が(コールドと思われる)完勝。

A墨谷高×東都実業高(秋季ブロック予選決勝)球場=東実高グラウンド

 東都実 000 000 000=0
 墨 谷 100 000 00X=1
  勝=谷口 負=工藤

 たった10名で挑んだ墨高の、秋季ブロック予選の決勝戦。文句なく勝ち上がってきた東実との対戦だった。
 墨高先発の谷口は一回表の東実の攻撃を三人で退けた。
 一回裏、墨高は東実の先発の工藤を攻め、丸井のバントヒットと盗塁で一死二塁のチャンスを掴み、倉橋の中越二塁打で一点先制。
 ここで東実は工藤を早くも諦め、東実の秘密兵器、青葉学院中出身の佐野がリリーフした。
 中学時代より一段と成長した佐野は谷口をなんとか併殺に打ち取り、その後は墨高打線に付け入る隙を与えず、ゼロ行進させた。
 一方の谷口も絶好調で、東実を八回まで無得点に抑えた。
 九回表、東実はライトの半田を狙うが、丸井の好守備により完封、墨高は秋季東京大会に進出すると共に、翌年夏の大会のシード権を得た。

 B墨谷高×?高(秋季東京大会一回戦)球場=明治神宮球場
 C墨谷高×?高(秋季東京大会二回戦)球場=明治神宮球場
 B墨谷高×?高(秋季東京大会準々決勝)球場=明治神宮球場

 B〜Dでの秋季東京大会は、墨高は一、二回戦を勝ち準々決勝進出。それ以外の試合経過は不明。

 〈検証〉秋季大会について

 いよいよ新人戦ともいえる秋季東京大会ブロック予選が開幕した。『プレイボール』では秋季大会を「東京都内の二〇〇校近いチームを一六ブロックに分けて予選を行い、そこで優勝したチームが神宮球場で本大会を競う。本大会で優勝したチームが事故の無い限り翌年の春の選抜出場校となる」と説明している(プ二〇巻八頁)。また「春の選抜の予選ともいえる秋季大会」とも言っている(プ一九巻一三〇頁)。
 正確に言えば、秋季大会は春の選抜の「予選」ではない。選抜は、読んで字の如く「選び抜かれた」チームによる大会なのである。したがって選抜の建前では「予選」は存在しない。では、秋季大会とはなにか?それは選抜校を選ぶ際の「重要参考資料」なのである。

 秋季大会の戦績を見て、選抜校にふさわしい学校を選び出し、選抜への出場権を与える。それが選抜の趣旨だ。つまり、秋季東京大会で優勝したからといって、選抜出場が決まったわけではない。まあでも、秋季東京大会で優勝した高校は、不祥事でもない限り選抜校に選ばれる。だから、現実的には秋季大会は選抜の予選と言えるだろう。

 ちなみに、東京の秋季大会事情は他県と違い、ちょっと特殊である。普通は、秋季県大会の上位に入ると、その上の地区大会(たとえば、大阪なら近畿大会)に進出するが、東京の場合は東京大会で終わってしまうのである。つまり、東京の高校が関東大会に出場することはない。これは東京の参加校が他県に比べて突出して多いからだと考えられる。このスタイルを取っているのは、東京以外では北海道だけだ。北海道の参加校は東京以上に多い上に、他の地方区分に所属していないせいでもある。
 東京と同じ関東地区に所属している千葉の例を見てみよう。千葉の場合も各ブロックに分かれて予選を行う。そして上位校が県大会に進出し、上位三校が「推薦校」となる。推薦校とは、選抜に選ばれる権利を持つ高校のことで、この推薦校に入らないと選抜に選ばれることはない。
 よく秋季地区大会(たとえば関東大会)で優勝して「選抜当確」と言われながら不祥事が発覚して、選抜に出場できなくなる例があるが、これを「選抜出場辞退」と思われているフシがある。しかし、この時点ではこの優勝校は選抜には選ばれていないわけで、したがって「選抜出場辞退」ではない。このケースではあくまでも「選抜推薦取り消し」である。つまり「あなたの学校は選抜されるにふさわしい学校だと思っていましたが、不祥事があったのでその権利を取り消しますよ」というわけである。なお、選抜選考委員会は秋季大会の翌年の二月一日に行われ、その時に選抜出場校が決まる。その後に選抜出場校の不祥事が発覚して選抜出場ができなくなった場合は「選抜出場辞退」となる。

 さて、千葉の推薦校である三校全てが関東大会に進出することもあれば、二校しか出場できないこともある。これはその年によって違う。ただし、関東大会に出場できなくても、推薦校なら選抜に選ばれる可能性はある。現実ではまず無理であるが。
 秋季関東大会は東京を除く関東七県の代表校で競われる。その上位進出校が選抜に選ばれる可能性が高くなるのであるが、選ばれる校数はやはりその年によって違う。そして、関東地区と東京地区はセットで選抜出場校数が割り当てられる。
 近年の例でいうと、関東・東京地区は合わせて六〜七校出場するのが通例となっている。東京は一〜二校、関東は四〜五校選ばれるというわけだ。『プレイボール』世界の時代であれば、関東・東京地区は四〜五校程度だったようだ。もちろん、東京から二校選ばれることも珍しくはない。
 また『プレイボール』では、秋季大会は翌年夏のシード権がかかった大会、と説明している(プ二〇巻九頁)。しかし現実では、夏の大会のシード権はその年の春季大会の結果で決まる。春季大会は甲子園には直接関係ないが、シード権を争う大会でもある。ただし、この基準も各都道府県によってまちまちで、たとえば大阪の夏の大会にはシード校制度が無いので、春季大阪大会は単なるオープン戦のようなものである。
 そして、第四章でも触れたが、『プレイボール』の頃の東京における春季大会は、他県とは違う特殊な事情があった。東京では、前年の秋季大会で好成績を収めない限り、春季大会には出場できなかったのである。春季大会に出場できないということは、シード権を取る可能性も無い。だから、当時の東京では秋季大会がシード権に関わるというのも、あながち間違いではないのだ。しかし、二〇〇五年からは他県並みに、東京でも全ての高校に春季大会の出場権が与えられるようになった。

 さて、秋季大会初出場の墨高は(プ一九巻一三一頁)、ブロック予選一回戦で横川と対戦した。試合会場は東実グラウンドで、即ち墨高は東実と同じブロックである。東実グラウンドは郊外にあるのだが、墨高と東実が同じブロックに入っているところを見ると、学校自体は案外近いのかも知れない。また、秋季大会ブロック予選が、立派なグラウンドを持つ高校で行われるのは珍しいことではない。
 墨高は横川を圧倒した。一番打者の島田など、二塁打コースの当たりを打って、セカンドへの送球が逸れてショートがそれを捕った隙に、二塁から三塁へあっという間に到達するという、超人のような俊足を見せた(プ二〇巻一八頁)。エイトマンやサイボーグ009並みだ。

 墨高はブロック予選を楽々と勝ち進み、決勝へ進出した。なお、決勝までの試合数であるが、この年は二〇〇校近いチームを一六ブロックに分けているので(プ二〇巻八頁)、一ブロックあたり約一二校だ。となると、決勝進出するには二〜三勝が必要であるが、はっきりした試合数は不明なので、本書の戦績でははしょることにする。
 さて、ブロック予選の決勝は因縁の東実との対戦だった。秋季大会は週末に行われるため試合間隔に余裕があり、墨高は僅か一〇名というハンデを背負いながら、ベストコンディションで決勝に臨むことができた(プ二〇巻三一頁)。

 墨高は谷口、東実は工藤の先発で試合は始まり、谷口は一回表の東実の攻撃を三人で退けた(プ二〇巻四三頁)。このとき、ショートの横井がファインプレーをしているが(プ二〇巻四三頁)、横井も成長したものだ。後輩にハッパをかけられるだけのことはある。
 一回裏、墨高は工藤を攻め、二番の丸井のバントヒット(プ二〇巻五四頁)と盗塁(プ二〇巻五九頁)で一死二塁のチャンスを掴み、三番の倉橋がセンターオーバーの二塁打を放ち、早くも一点を先制した(プ二〇巻七二頁)。
 さらに一死二塁で四番の谷口。カウント0―1になった時点で、東実ベンチは早くも工藤を諦めた(プ二〇巻七六頁)。東実のマウンドに上がったのは、なんと青葉学院中時代からのライバルの佐野だったのである(プ二〇巻七七頁)。

 佐野は青葉学院高等部には進まず、東実に入学していたのだ。そして東実にとって、佐野は秋季大会の秘密兵器だった。できれば東実はブロック予選で佐野は使いたくなかったが、墨高に負けるわけにはいかなかった。
 そして佐野は、中学時代よりも球速はずっとアップしていた(プ二〇巻七九頁)。簡単に打てる球ではない。
 佐野と谷口の、二年ぶりの対決だ。速球でストライクを二つ決め、三球目はボールでカウント2―2。ここで佐野は、本大会まで秘密にしておきたかった謎の変化球を投げ込んだ(プ二〇巻九一頁)。どんな球種かは不明だが、チェンジアップのようなものだろうか。谷口はなんとかこの球を当て、ファールで逃げた(プ二〇巻九二頁)。そして、次の同じ変化球を谷口は巧くとらえた。しかしこれがショートライナーとなり、ダブルプレーでチェンジとなった(プ二〇巻九七頁)。

 その後は谷口と佐野の投手戦となり、一―〇で墨高リードのまま、九回表の東実最後の攻撃を迎えた。東実はライトの半田を徹底的に狙った(プ二〇巻一一一頁)。しかし、セカンドの丸井が半田をカバーし2アウト。
 半田の守備を信用しない丸井は、ライトのすぐ手前で守った。下がりすぎを心配する半田に向かって「ひとのことより、てめえの心配でもしてろいa」と後輩にあるまじき暴言を吐いている(プ二〇巻一四五頁)。
 東実の三番の左打者が放った打球は右中間へ。完全に長打コースと思われたこの打球は、なんとセカンドの丸井がフェンス手前でスーパーキャッチ(プ二〇巻一四八頁)。このプレーはまさしく球史に残る超超超超ウルトラスーパーファインプレー。というより、ファインプレーのインフレ、スーパープレーの大安売りだ。

 かくして墨高は東実を一―〇で破りブロック予選優勝、秋季東京大会に進出した。そして、来夏のシード権を得たのである(プ二〇巻一五〇頁)。ちなみに、谷口の九回完封はこの試合が初めてである。
 秋季東京大会は三二校で争われた(プ二〇巻一五二頁)。ブロックは一六地区に分けられていたのだから(プ二〇巻八頁)、一ブロックから二校出場したということであろうか。ということは、ブロック準優勝の東実も秋季東京大会に出場したということになる。ただし、ブロック優勝校にしかシード権は与えられないようなので、東実は翌年、ノーシードで戦うことになる。

 秋季東京大会で、墨高は一戦、二戦とものにし、準々決勝に進出した(プ二〇巻一五三頁)。準々決勝以降のことはこのナレーションでは触れられていないので、準々決勝で敗退したのだろう。出場校数が三二校なので,準々決勝に進出するには二勝が必要だ。したがって、本書での秋季東京大会の戦績は、一、二回戦を勝ち抜き、準々決勝で敗れたということにする。なお、本大会での球場が神宮球場になっているのはナレーションによる(プ二〇巻八頁)。現実の秋季東京大会は、主に神宮第二球場で行われるようだが。
 残念ながら春の選抜出場はならなかったが、墨高ナインにとっては自信をつけた秋季大会だったようだ。

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