トップ野球少年の郷第77回
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コラムB 全国優勝二度の墨谷二中と、甲子園出場ができなかった墨谷高校

 墨谷二中と墨谷高校、共に野球では全く無名の学校だった。しかし、墨谷二中は谷口がキャプテンに就任した年に全国制覇を果たし、さらにイガラシの代でもう一度優勝したが、墨谷高校は谷口三年の春までには遂に甲子園出場はならなかった。両校共に谷口の加入により急速に力をつけたのに、なぜこれだけの差が出たのだろう。

 一つには、第二章の東実の欄でも少し触れたように、中学野球と高校野球の土壌の差があると思える。
 『キャプテン』世界では中学野球の人気は異常に高いが、それでも高校野球には敵わない。なにしろ高校野球では甲子園大会を全試合NHKで全国中継するのだ。『キャプテン』世界で中学野球のテレビ中継があるのは、通常は全国大会決勝ぐらいだそうだ(キ八巻五一頁)。実際には、全国大会一回戦をテレビ中継したことは何度かあるが。
 ちなみに、谷口がキャプテンに就任した年の、墨谷二中の戦績を見てみよう。

 一回戦は江田川中に逆転サヨナラ勝ち、二回戦は金成中に九回まで五点ビハインドながらも逆転勝ち、準決勝は隅田中に延長戦で勝つという、いずれも苦戦している。もしこの三戦のいずれかで墨谷二中が負けていれば、その後の全国優勝はおろか、全国大会出場すらなかったと思われる。

 しかし、地区予選決勝まで進出できたことによって、青葉学院中と対戦することができた。青葉学院は東京地区のみならず、全国でも敵なしのオバケ学校だった。そして、墨谷二中には青葉学院出身の谷口がいる。谷口は青葉学院のことを知り尽くしていたので、青葉学院に勝つにはどんな特訓が必要かがわかっていた。

 対青葉用特訓で青葉学院と互角に戦う力をつけた墨谷二中は、地区予選決勝では一〇―一一と惜敗するが、この試合が認められて翌春の選抜大会にも選ばれた。地区予選決勝に残れなければそんなことはありえなかったし、日本最強の青葉学院と戦うことによって墨谷二中が全国レベルの力をつけたのだ。

 さらに、この試合での青葉のルール違反が発覚し、既に全国優勝を決めていた青葉学院と全国優勝をかけて再戦し、見事に勝ってタナボタ的な全国優勝を果たすことができた。一回戦から勝ち上がったチームから見れば不公平に思えただろうが、青葉学院の実力を考えると他チームも文句は言えなかったのかも知れない。

 それ以降、墨谷二中は全国大会の常連となり、谷口の代から通算すると、選手権と選抜を合わせて四回出場、全国優勝二回、選抜ベスト8一回の、押しも押されもせぬ強豪になった。丸井の代の夏と、イガラシの代の春は棄権しただけで全国大会出場は決めていたのだから、事実上は六季連続出場ということになる。
 もし、谷口の代で青葉学院と対戦していなければどうなっていただろうか。
 当然、青葉学院に対する特訓はしていなかったと思われ、全国レベルにはなっていなかっただろう。谷口の代で全国優勝したからこそ、優秀な人材が墨谷二中に集まってきた。

 もしこれが、墨谷二中が地区予選レベルに留まっていたなら、天才のイガラシあたりがいくら熱心に指導していたとしても部員はついて来られなかっただろうし、造反部員も数多く出現しただろう。なによりも、モチベーションの低い部員に対し、イガラシが失望してさっさと退部することも考えられる。このあたりが努力型の谷口と、天才肌のイガラシとの違いだ。もしイガラシが最初から墨谷二中を率いていたのなら、他の部員はイガラシに反発するか、あるいはイガラシの方がサジを投げていただろう。谷口は自分がヘタだっただけに、野球が上手くない部員の気持ちもわかるのだ。逆に、天才のイガラシにはヘタな部員の気持ちなんてわからない。

 一方、谷口が入学した頃の墨谷高は、草野球程度のものだった。それでも谷口の入部により部員の意識レベルは徐々に上がっていき、一回戦の京成高戦では一点差で辛くも逃げ切り五年ぶりの勝利、二回戦の城東高戦では予想を覆す七回コールド勝ち、三回戦でシード校・東都実業高と対戦することになった。部員は東実に勝てるわけがないと考えていたが、谷口はそうは思っていなかった。努力次第では勝てる、と。そして勝てはしなかったものの、最後まで東実を苦しめる大接戦となった。おそらくこの時の東実と墨谷高の差は、青葉学院と墨谷二中と同じぐらいあっただろう。

 しかし、決定的な違いがあった。青葉学院が全国大会で連続優勝していたのに対し、東実は東京大会で上位進出できる程度の、普通の強豪校だったのだ。谷口が二年の時に東実はベスト8にも入れなかったし、谷原高に五―一九と練習試合で大敗した墨谷高相手に、東実は〇―一と敗れているのだ。乱暴な三段論法を使うと、東実は谷原高には歯が立たなかったと思われる。谷原高に一九点を取られた谷口に、東実は完封されているのだ。
 ちなみに、丸井の代、イガラシの代の墨谷二中の地区予選での戦績を見てみると、いずれも決勝まで無人の野を行くが如く、全て圧勝で楽々と決勝に進出している。

 谷口が二年の時の墨谷高の戦績は、一、二回戦こそ圧勝したが、三回戦は大島工業高、四回戦は聖陵高、五回戦は専修館高と、いずれも大苦戦。ようやく辿り着いた準々決勝で明善高に大敗してしまう。東京大会だけで四校も強敵と戦わなければならなかったのだ。しかも、甲子園に出場するためには、明善高に勝っていたとしてもあと二校の強敵に勝たなければならない。事実上、一校の強敵を破れば全国大会に出場できた墨谷二中と違い、高校野球で甲子園に出場するにはこれだけ厳しい戦いを強いられるのだ。

 中学野球と高校野球のこの土壌の広さの違いはなにか。それは、ほぼ全ての野球少年が甲子園を目指すのに対し、中学野球を経験しない野球少年もかなりいるということだろう。
 本文でも何度か指摘したように、中学野球は軟式だ。しかし、将来は甲子園やプロを目指す野球エリートは硬式に早い段階で慣れようと中学の野球部にはあえて入らず、リトルシニアリーグやボーイズリーグを経て高校名門校に進学するケースが多い。中にはこうした硬式リーグの有望選手を中学のうちに青田買いして中等部に入学させ、そのまま地元の硬式リーグに通わせて高等部に入学させるケースもある。この際、中等部に軟式野球部があっても入部はさせないことも多い。

 もちろん、中等部を持つ高校野球の名門校でも、中等部の軟式野球部に力を入れている学校もある。星陵や明徳義塾などがそうだ。中学野球でもライバルのこの両校が甲子園で対戦して、しかもあの五打席連続敬遠事件を起こしているのも面白い。しかしやはり、高校の名門校は硬式野球出身者を重宝するし、中学野球を経験しない甲子園出場選手やプロ野球選手は多い。

 そう考えると、無名ながら僅かな期間で墨谷二中が全国レベルに到達できた理由は、野球エリートの多くが中学野球にはいなかったからかも知れない。しかし、いまや一流のメジャーリーガー、イチローと松井秀喜は軟式の中学野出身である。

 墨谷二中や墨谷高出身者、あるいは両校と戦ったライバルの中からメジャーリーガーが誕生するかも知れない……?

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