トップ野球少年の郷(ふるさと)・墨谷 連載を終えて
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野球少年の郷(ふるさと)・墨谷 連載を終えて

 僕が本書を書くきっかけになったのは、「墨谷」という土地は一体どこにあるのだろう、という小さな疑問からだった。
 「墨谷」なる地区が東京の下町にあることは間違いないのだが、実際には東京に「墨谷」という地名はない。そこで「墨谷」のモデル地区を東京の地図とにらめっこして調べたり、モデル地区と思われる現地に実際に飛んだりしているうちに、思わぬ出会いがあり発見があった。
 そして、せっかくここまで調べたのだから、子供の頃に熱中した「キャプテン」及び「プレイボール」をもう一度、一から読み直して検証してみようと思い立ったのだ。

 僕が最も熱中した漫画は、紛れもなく「キャプテン」「プレイボール」だった。この両作品が連載されていた頃、人気1の野球漫画といえば、水島新司先生の「ドカベン」だろう。当時から「ドカベン」はゴールデンタイムでアニメ放映されていたし、ポスト「巨人の星」と言える野球漫画だった。もちろん僕も「ドカベン」は読んでいたしアニメでも見ていたが、自分で本を買っていたわけではなく、もっぱら友達に借りて読んでいた。
 僕がなぜ「ドカベン」よりも「キャプテン」「プレイボール」に熱中していたのかはわからない。ひとつ言えることは、僕がひねくれ者だったから、というのがあるのかも知れない。僕は子供の頃から1よりbQを好んでいた。東京ではなく大阪が好き(故郷だからでもあるが)、巨人ではなく阪神が好き(当時から優勝は常に巨人で、阪神は万年2位)、カブトムシではなくクワガタが好き(昆虫番組ではいつもクワガタはカブトムシに放り投げられていた)といった具合に。「キャプテン」「プレイボール」がbQだったかどうかは知らないが、アニメ化されていなかった両作品は「ドカベン」よりも(失礼ながら)マイナーだと思っていた。

 ところが、野球漫画について話したこともない友達が「キャプテン」や「プレイボール」を読んでいると知った時、驚きとともに嬉しさがあったのを憶えている。そして、意外にもそんな友達が多かったことにも驚いた。
 そして遂に、1980年に1時間半の特番として「キャプテン」がアニメ化されたのである。このときは本当に嬉しかった。さらに視聴率も17.5%と大健闘し、人気の高さが窺えた。そして1983年には「ドカベン」のようにゴールデンタイムでシリーズ化された。「キャプテン」は決してマイナーではなかったのだ。「プレイボール」はアニメ化されなかったが(2005年にアニメ化)、後発誌だった「週刊少年ジャンプ」が少年週刊誌売上bPになったのは「プレイボール」の人気が高かったからだという。僕が考えていた以上に「キャプテン」「プレイボール」は人気漫画だったのだ。

 ちなみに、水島新司先生が一番ライバル視していた漫画家がちばあきお先生だったという。「『キャプテン』『プレイボール』のような野球漫画は、オレには描けない」と。草野球でも、ちばあきお先生は「ホワイターズ」、水島新司先生は「ボッツ」というチームでライバル同士だった。
 「キャプテン」は元々、読み切りでオムニバス形式の予定だったそうだ。ところが、「キャプテン」の冒頭に当たる話が面白かったので、連載することになったという。ちばあきお先生にとって初めての本格的な連載作品となった。ところが、連載が続いてもオムニバス形式的なストーリー展開は続いていたようで、キャプテンが卒業するたびに主人公も変わる、という非常に珍しい形態を採った作品でもあった。墨谷二中を卒業しても「キャプテン」に登場するのは丸井だけで、谷口やイガラシは卒業後、一切登場しない。
 「プレイボール」は、実はツナギの作品だったと、ジャンプ・コミックス「プレイボール」最終巻である22巻の解説コーナーで、ちばあきお先生自身が語っている。最初の構想ではラグビーかアメリカンフットボール物を、と考えていたようだが、資料集めに時間がかかりすぎ、資料が集まるまでの時間稼ぎとして、「キャプテン」で墨谷二中を卒業した谷口の高校生活を描くことになった。ところがこれが大ヒットし、ツナギがツナギではなくなって、長期連載となったのである。もし順調に資料が集まっていれば、高校野球漫画の傑作「プレイボール」は誕生しなかったことになる。よくぞ資料集めに手間取ってくれたと感謝するばかりだが、反面ちばあきお先生が描くラグビー、あるいはアメフト漫画がどんなものだったか、読んでみたかった気もする。
 つまり、「キャプテン」「プレイボール」共に綿密な計画があったわけではなく、悪い言い方をすれば「行き当たりばったり」で連載が始まったようなものだ。その「行き当たりばったり」の作品が、野球漫画史上に残る名作となったのだから面白い。

 「キャプテン」「プレイボール」を一から読み直し、一つ一つの出来事について検証していこうと決心したのだが、これが簡単なことではなかった。当時のジャンプ・コミックスで「キャプテン」が全26巻、同「プレイボール」が全22巻、合計48巻にも及ぶ漫画を読み直し、検証していくのだ。気が遠くなるような作業だった。
 でも、一つ一つ検証していけば、なぜ当時の僕が「キャプテン」「プレイボール」に熱中したか、大人になった今ではわかるのではないか、そう信じて検証を重ねていった。そして、当時は気付かなかったことが、この作業によって発見できるかもしれない。
 その期待は現実のものとなった。当時はあまり気付かず、今回の検証によって一番強く感じたのは、主要キャラクターの成長ぶりである。彼らの初登場が中学時代だから成長するのは当たり前だが、野球のプレイではなく人間的に成長している姿をさりげなく描いているところが凄い。これが漫画では一番難しいことだ。
 主人公は大抵、完璧なキャラクターとして描かれているから、成長することがあまりない。もちろん、成長させるような描き方をする場合もあるが、そういう場合でもほとんどが何かのきっかけがあって「成長しましたで」と読者にアピールするような描き方をする。
 ところが「キャプテン」「プレイボール」はそういう大袈裟なきっかけなどなく、読者が気付かないうちに成長させているのだ。
 たとえば谷口の場合を見てみよう。墨谷二中でキャプテンになった頃の谷口と、墨谷高三年の時の谷口とでは、キャプテン像が180度違う。でも、谷口の性格自体は全く変わっていない。
 墨谷二中でキャプテンに就任した時、谷口は大勢の部員の前で満足に挨拶もできず、新入部員に対して「じゃあすみません。草むしりでもしてください」なんて言ってたのが(キ1巻80頁)、高校三年になると、小学生時代に先生を殴って停学処分になったという武勇伝を持つ新入部員の井口に対し、「なんども同じ注意はしないぞ。いいな!」と一喝している(プ21巻189頁)。このときの谷口は、井口に対して強面で牛耳ろうとしているのではなく、普通に注意しているだけなのだが、その姿には迫力があり、さすがの井口も一瞬たじろいだ。谷口にとっては普通に注意しているだけにすぎないのに、注意された側は従わざるを得ない。理想的なキャプテン像だ。
 自己中心的だった近藤も、キャプテンになると後輩の育成に力を入れ、投手としてもかつては「1イニングに一個は三振を獲らなければ気が済まない」と言っていたのが、中学三年生時では打たせて取る投球術を見せている。本文中でも書いたことだが、奪三振投手と思っていた近藤が、中学二年夏の全国大会以降、三振を奪ったシーンが全く無くなっているのには驚いた。だからと言って、近藤の性格自体は全く変わっていない。
 ここに我々が「キャプテン」「プレイボール」に熱中した秘密があるのではないか。各々のキャラクターがそれぞれ欠点を持ち、それを知らず知らずのうちに克服して成長していくという姿を、読者も知らず知らずのうちに自分と重ね合わせて読んでいるのではないか、と。ちばあきお先生がどこまで意図して描いていたのかはわからないが、ひょっとするとちばあきお先生も気付かないうちに谷口、丸井、イガラシ、近藤たちが勝手に成長してしまったのではないか。そんなふうに結論付けたいような気がする。

 さらに、全国制覇した墨谷二中に比べ、墨谷高は甲子園出場すらしていない。作者の意図を考えると、ここにこそちばあきお先生の強いメッセージがあるのではないか。
 本文中でも書いているように、「キャプテン」世界で登場する、高校野球のような春夏の中学野球全国大会は、現実には存在しない。あるのは「全日本」と「全中」と呼ばれる大会だけだ。いわば、「キャプテン」世界は虚構だとも言える。
 「キャプテン」「プレイボール」のテーマはなんだったか。一番大きいのは「諦めないこと」だろう。
 墨谷二中のキャプテンに就任した谷口は、無名野球部でも決して諦めず、名門の青葉学院に果敢に挑み、遂には青葉学院を倒して夢にすら見ることができなかった全国優勝を果たした。
 「決して諦めない」という谷口の信念が、夢を実現させたのである。この谷口の信念は墨谷二中の野球部に浸透し、丸井、イガラシ、近藤の手によって墨谷二中を中学野球界における、押しも押されもせぬ強豪に成長させた。
 「プレイボール」では、谷口の「決して諦めない」という信念が墨谷高にも受け継がれ、弱小の都立高校が東京における強豪校の一つに数えられるようになった。
 がしかし、谷口の高校三年春現在、未だに墨谷高は全国優勝はおろか、甲子園出場すら果たしていない。
 ちばあきお先生は「メンバーが揃って甲子園の晴れ舞台に墨谷高を登場させようと思っていたが、ドクターストップがかかってしまい、連載できなくなった」と語っているが、僕にはそうは思えない。ちばあきお先生は、初めから墨谷高を甲子園に出場させる気はなかったのではないか。
 前述したように「キャプテン」世界は虚構の世界である。ところが「プレイボール」世界は、現実に存在する春夏の甲子園を目指すチームを描いている。つまり、完全虚構の「キャプテン」と違い、「プレイボール」は「虚にして虚に非ず、実にして実に非ず」という世界なのだ。
 つまり、完全虚構の「キャプテン」では「決して諦めない」ことが夢を実現させた。しかし、現実に存在する高校野球では「決して諦めない」ことが、必ずしも夢を実現させてくれるわけではない、と言いたかったのではないか。
 だからと言って「決して諦めない」ことが、無駄なことというわけではない。実在する多くの高校の野球部が「決して諦めない」ことを信念にして練習に励んでいるが、そのほとんどの高校が甲子園出場を果たせずにいる。でも、甲子園出場を果たせなかったからと言って、その努力が無駄というわけではないだろう。
 「プレイボール」ではそのことを言いたかったような気がする。だから谷口が高校三年の春に連載を終えて、わざと「最後の夏」に墨谷高が甲子園出場を実現できるかどうか、読者の手に委ねたのではないか。そう考えると、よく似ていると思われる「キャプテン」と「プレイボール」も、実は好対照の作品だとも言える。
 「努力すること、」によって夢を実現させた「キャプテン」の墨谷二中と、夢を実現できなかった「プレイボール」の墨谷高。
 現実の社会では、夢が実現することは少ない。でも「決して諦めず」夢に向かっていくことは、決して無駄なことではない。
 それだけに、ちばあきお先生が若くして亡くなったのが残念なのだが……。

 「キャプテン」「プレイボール」全48巻を検証しながらの執筆中に嬉しい話題もあった。なんと「キャプテン」が2007年に実写映画化したのである。もちろん、僕も映画を観に行った。原作とはずいぶん違うストーリーだったが、それでも僕は嬉しかった。四半世紀もの時を経て、実写映画化されるということは、それだけこの作品が愛されていたということである。
 僕がこの映画を観に行ったとき、隣りにカップルが座っていて、彼氏が彼女に「『キャプテン』は俺たちにとって野球のバイブルだったんだ」と言っていた。
 前述したように「プレイボール」も2005年にアニメ化された。
 コンビニでは現在でも両作品の復刻版が発売されている。
 
 本書の原稿は、400字詰め原稿用紙に換算して、実に約700枚にも及ぶ大作となった。連載を開始したのは、実写版映画「キャプテン」上映の約1ヵ月後、2007年9月のことだった。それ以来約2年間、毎週水曜日にネット配信で連載した。僕の我儘を聞いてもらい、ネット配信してくださった八川社には大変感謝している。
 どれだけの人が読んでくれているのかわからなかったが、たまに会った人から「『野球少年の郷・墨谷』いつも読んでいます」と声をかけられ、非常に嬉しかった。
 また、一時期事情により連載が中断してしまったことがあるが、その期間にお会いした方から「なんで連載を中断したんですか?毎週楽しみに読んでいるんですよ」と言われてびっくりしたことがある。「読んでくれてたんですか?」と聞くと「もちろん!僕の青春時代の漫画ですから」とおっしゃっていた。
 そしてブログ「ネターランド王国」や、公開していたSNSのコメント欄に多数の感想を寄せていただき、どれだけ励みになったかわからない。
 そして、本書を書くきっかけになった「墨谷」のモデル地区の、東京都墨田区に存在する中学野球チーム「ヤングパイレーツ」関係者には感謝の意が絶えない。
 多数の人に支えられ、この作品を完成させることができた。
 
 2年間、ご愛読してくださった読者のみなさま、「ヤングパイレーツ」関係者のみなさま、そして連載してくださった八川社に心から感謝します。
 長い間、お付き合いいただきありがとうございました。
 
 2009年 梅雨の頃  安威川敏樹

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