トップオフサイドライン第13回 

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「なんかあったんですか?」
 強化委員長から電話があった二日後の朝、野島が出勤して職場に入ったとき、フロアが騒然としているのがわかった。
 野島が先輩社員に訊くと、先輩社員は血相を変えて言った。
「なんかあった、じゃねえよ!これ、お前のことだろ!?」
 先輩社員はそう言って、スポーツ新聞を突き付けてきた。

 たいして大きな記事ではないのだが、11面に「野島、代表入り辞退へ」という囲み記事があり、野島の引退を惜しむ内容が書かれていた。
 その記事では、野島のラグビー選手としての経歴と、スクラムハーフとしていかに素晴らしいスキルを持った選手だったかと説明し、さらに家庭の事情で第一線から退かざるを得なくなり、近江工業を退社し、今回のワールドカップ予選の代表入り要請も辞退して、一般企業で第二の人生を歩む決心をした野島の勇気を称えていた。
この記事には野島自身がビックリした。こんな取材を受けた憶えはないし、自分の記事がこれだけ大きく扱われるのは初めてだった。
 だいいち、野島は別に家庭の事情でラグビーを引退するわけではないし、勇気があったから第二の人生を歩もうとしたわけでもない。
 野島は自分の人生にとって最善の選択をしようとしただけであり、なぜラグビーを引退することが「勇気」なのか、理解ができなかった。

「たしかにこれは僕のことですけど、僕はもうラグビーを引退しているし、関係ないですよ」
 野島は先輩社員に、まるで言い訳のように説明した。
「で、でも、お前が日本代表に選ばれるほどのラグビー選手だったとは聞いてないぞ!なぜ黙ってた?」
「なぜって言われても……。僕のラグビー選手としてのキャリアと、この会社にはなんの関係もないことですし……」
 実は大学の先輩に就職の斡旋を依頼したとき、自分がラグビー選手だったということは言わないでください、と頼んでいたのだった。そういう色眼鏡で見られることを、野島は潔しとはしなかった。あくまでも野島信也という人間で、自分を判断して欲しい、と。

 しかし、この話はすぐに会社の上層部に伝わった。驚いた上層部は、日本ラグビー協会に真偽を確かめ、本当だとわかるとすぐに野島の日本代表入りをサポートした。
 アジア予選の試合はいずれも東京で、しかも休日に行われるので、当社としてはなんの問題もない。野島が試合に対して調整が必要ならば、当社は喜んでバックアップしよう。会社はそう言ってくれた。

「野島君、なにも心配せずに、今はアジア予選のことだけを考えたまえ。我が社にとっても名誉なことなのだから」
「しかし、入社したばかりなのに、ご迷惑ではありませんか?」
「入社したばかりだから譲歩できるんだよ。我が社の戦力になってからラグビーのためにたびたび仕事を抜けられたんではかなわんからな」
 ガハハハと人事部長は豪快に笑った。
「……ありがとうございます」

 その日の夜、野島は日本ラグビー協会に日本代表入り受諾の電話を入れた。
 これまで巡り合わせの悪さに泣かされてきて、不運なラグビー人生を送ってきた野島にとって、神様の悪戯がくれたキャップ獲得の最後のチャンスだった。

 5月21日の秩父宮ラグビー場でのワールドカップアジア予選第一戦、日本×韓国。
 そのフィールド上に野島の姿はなかった。
 その日、ジャパンのスクラムハーフとして出場していたのは、レギュラーの友成だった。
 ジャパンにとってアジアでの最大の強敵は韓国であり、アジア予選では韓国戦に全てを賭けていた。
 前半こそ韓国の激しい当たりに苦戦したものの、後半に入るとジャパンはその実力差を徐々に発揮していった。
 終わってみれば46−12。ジャパンの完勝だった。これで中華台北に勝てればワールドカップ出場が決まる。ハッキリ言って、ジャパンが中華台北に負ける要素はない。
 ところが、スクラムハーフの友成がこの試合で足を痛めていることがわかった。
 たいしたケガではなかったが、ワールドカップのこともあるし、ここで無理をさせることはできない。

「野島、最後の台湾戦、行ってくれるか?」
 監督からの、アジア予選最終戦での出場要請だった。
 珠美から疫病神呼ばわりされていた野島に、最後の最後になって福の神が降りてきた。

 そしてそれは、野島にとって初キャップ試合であり、さらにラグビー人生で最後の試合となった。

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