トップオフサイドライン第15回 

エピローグ

「おめでとう。そして長い間、お疲れ様」
「ああ」
 アジア予選の次の日、二人は渋谷のスポーツバーで生ビールのジョッキを合わせた。
「ホントに終わったんだね」
「ああ」
「なによ、『ああ』ばっかり。他に感想はないの?」
「いや、なんか実感が湧かなくてさあ。ホントに俺、ラグビー辞めたのかな?」
「まさか、やっぱりラグビーを続けるなんて言うんじゃないんでしょうね」
「うーん……、ワールドカップの代表選手に選ばれたら、また続けようかな」
「冗談でしょう?また私を待たせるつもり?」
「ウソウソ。ワールドカップは来年だし、ジャパンはそれに向けて調整していくから、引退表明した俺が招集されるわけがないよ」
「じゃあもし、万が一よ、ワールドカップの代表選手として呼ばれたら、またラグビーをする?」
「そうだなあ……、ワールドカップ出場は選手として最大の夢だし、出たいな。テストマッチでまだトライを獲ってないし」
「やっぱり私を裏切るのね!私よりラグビーのほうがいいの?」
「可能性がないから言ってるんだよ。それに、ワールドカップはそんなに甘くない。アジア人とは比較にならない大男どもが唸りをあげて突進してくるんだからな。ジャパンはワールドカップでは一回しか勝ったことがないんだ」
「じゃあやっぱり出ないほうがいいんじゃない?そんな化け物みたいな選手が相手じゃ、信也くんなんて簡単に潰されるわよ」
「そうだな、怖い思いをせずに済んだのかもな。それに、この顔まで潰されたらせっかくのイケメンが台無しだ」
「……ま、言うのはタダだからね。それはともかく信也くん、本当に後悔していない?」
「なにを?」
「ラグビーを辞めたこと」
「……もちろん」
「ホントに?」
「ああ。大学でプレーして、トップリーグでプレーして、ジャパンに選ばれて、キャップまで獲得できたんだ。これ以上を望めばバチが当たる」
「でも普通は、初キャップからラグビー選手としての前途が拓けるんでしょ?それなのに、初キャップ試合が引退試合だなんて……」
「……そこがいいんだよ」
「なんで?」
「だって、普通の選手は初キャップからキャリアを積むんじゃないか。初キャップ試合が引退試合なんて選手、あんまりいないぞ。かえって歴史に残るだろ?」
 野島は説得力があり、かつ負け惜しみとも思える心情を吐露した。

 二人は一杯目のジョッキを飲み干し、おかわりを注文した。
 珠美は少し酔ったようなトロンとした目つきで訊いてきた。
「……ねえ、信也くん」
「なんだよ」
「信也くんにとって私って、どんな存在だったの?」
「どんな存在って……」
「ハッキリ答えてよ」
 野島は返答に詰まった。

 どう例えればいいんだ?光り輝く宝石か、岩場の陰にそっと咲く一輪の花か?
 野島がそんな歯の浮くセリフをカッコよく言える男だったら、ラグビーなんかとっくの昔に辞めてホストになっていただろう。
 困り果てた野島は、ようやく思いついた単語を口にした。

「そうだなあ……。オフサイドライン、ってとこかな」
「オフサイドライン?なによ、それ」
「それを踏み越えちゃいけないラインのことさ。それを越えると、プレーできなくなる。そんなに重要なラインなのに、状況によっては何本もできてしまうし、しかも常に動いている。もっと厄介なことに、オフサイドラインは決して目には見えないんだ」
 珠美は目をさらにトロンとさせて呟いた。
「……全然、意味わかんない」
「俺も自分で言ってて、わかってねえんだよ」

オフサイドライン。

 それが目に見えるラインだったらどんなに楽だろうと、野島は思った。
 と同時に、もしそれが見えてしまえば、多分つまらないだろうな、と。

―完―

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