トップ野球少年の郷第5回
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第一章 墨谷第二中学校 谷口キャプテン編−4

@墨谷二中×江田川中(地区予選一回戦)球場=不明

江田川 010 000 000=1
墨谷二 000 000 002=2
 勝=松下 負=井口 本=井口(松下)、谷口=(井口)

 地区予選一回戦、墨二は弱小と見られていた江田川に一年生ながらエースで四番の井口の活躍で思わぬ苦戦を強いられる。一回裏、墨二は井口の制球の乱れに乗じて一死一、二塁のチャンスを迎えるが、四番谷口の左前安打で二塁走者が本塁を突くもタッチアウト、一塁走者も暴走で刺されチャンスを潰した。二回表、江田川は四番井口の右越本塁打で一点先制。〇―一のまま九回裏を迎え、墨二は二死無走者まで追い詰められる。しかしここから松下が死球で出塁し、二盗三盗のあと、谷口のランニング本塁打でサヨナラ勝ちした。

 〈検証〉谷口のキャプテンシー

 前にも書いたとおり、谷口はハニカミ屋である。それもかなり重度の。今なら「ハニカミ王子」と呼ばれていただろう。新入部員への挨拶のときは、小山とは対照的に一言も喋ることができなかった(キ一巻七七頁)。さらに、谷口はまともにノックすらできない(キ一巻八三頁)。新入部員たちも谷口のことをバカにしていた。
 しかし谷口はかつて父親と猛特訓した御岳神社で、今度は一人でノックを打つ練習をして、次の野球部練習では思ったところにノックが打てるまでになっていた(キ一巻九九頁)。新入部員を含めナインも谷口には一目置くようになった。

 それに自信をつけたのかどうかわからないが、初試合となる江田川戦では結構堂々としているのである。初守備でも難しい当たりを難なく処理しているし(キ一巻一一二頁)、江田川をナメてかかっているナインを一喝している(キ一巻一三一頁)。
 前キャプテンが谷口をキャプテンに指名したのは「谷口なら黙っていても後の者がついて来る。貫禄なんていうのは勝手に身に付く」と考えていたのだろう。

 しかし、この試合で谷口は致命的なミスをした。井口を敬遠しろというイガラシの忠告を受けて松下に敬遠を命じるが、松下はこれを嫌がり、結局くさいコースを突けと指示したがホームランを打たれてしまった(キ一巻一三七頁)。キャプテンとしての決断力のなさが失点に繋がり、危うく墨二にとって対江田川戦初敗北の汚名を被るところだった。しかもこのときの松下ははっきりと拒否してはいない。「わかりました。敬遠すればいいんですね」と渋々ながら納得している(キ一巻一三五頁)。

 しかし、谷口の決断力のなさを責めるのは酷かもしれない。まだ二回で無死無走者だから常識的には敬遠はありえない。ただ、前後の打者との力関係では井口は突出していた。井口以外の打者は松下の「スピードのない軽い球(イガラシ評)」すらまともに打てなかったのだから。江田川打線で怖いのは井口の一発だけだろう。
 でも、松下の気持ちを考えるとどうだろう。一応はエースである。しかもこの時点で墨二には松下以外のピッチャーはいなかったのだ。はっきり言って、松下が潰れたらそれで終わりである。そして松下には投手としてのプライドもある。四番打者とはいえ、一年生を敬遠するのはたまらないほどの屈辱だろう。しかも井口を敬遠しろと忠告したのはやはり一年生のイガラシだったのだ(キ一巻一三四頁)。キャプテン命令だから一応は納得したが、内心ではハラワタが煮えくり返っていたに違いない。

 結果的には先制ホームランを打たれたが、勝負して正解だったように思う。もしあのままイヤイヤ敬遠させていれば、松下の心の中にはシコリだけが残り、その後のピッチングに影響が出たのではないか。ホームランを打たれたからこそ井口との力関係がわかり、その後の井口の打席では敬遠したかどうかわからないが、大事な場面ではすんなりと敬遠できただろう。墨二がサヨナラ勝ちできたのは谷口のサヨナラランニング2ランもあるが、それも松下が九イニング一失点の好投があればこそだ。もし松下が崩れて大量失点を許していたら、墨二打線では到底井口を打ち崩すのは不可能だったし、あっさり敗れていたに違いない。

 でも、それがキャプテンとして谷口が正しかったわけではない。これはあくまで結果論で、谷口がそこまで考えていたわけではなく、単にキッパリと決断できなかっただけだからだ。イガラシの忠告を突っぱね松下には勝負を指示し、打たれた責任は俺がとるというのが正しいリーダーのあり方だろう。さっき酷と言ったのは、キャプテンとして初試合の谷口にここまで求めるのは酷、という意味だ。
 でももしここで江田川に負けていれば、その後の中学野球界を席巻する墨谷二中は生まれなかっただろう。そう考えるとゾッとするような試合だった。


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