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コラム@ 墨谷の里を訪ねて-5

 

 また、高野台球場のモデルが東京スタジアムではないかと書いたが、たしかに風景はよく似ているし、当時は南千住まで路線バスが通っていたと言っていた。やはり高野台球場のモデルは東京スタジアムだったのだ。

 ただ、「御岳神社」のモデルが「日枝神社」かどうかはわからないと言っていた。それと、墨谷高校のモデル校も発見できなかった。

 しかし、これだけ証拠が揃えば、八広を「墨谷」のモデルとして認定してもいいのではないか。谷口や丸井、イガラシはこの八広で生まれ育ったのだ。そして近藤は僕と同じ関西で生まれ育ち、八広に移り住んだのだ。

 30年の時を超え、僕は近藤のように関西から八広にやってきた。

 こんな楽しい事実がわかり、この夜はヤングパイレーツのみなさんと共に、監督ご自慢の焼酎で愉快に酔った

 

高野台球場(?)は現在、荒川総合スポーツセンターになっている。
谷口が高校入学後、初ホーマーを放った駒沢球場のスタンド入口。
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