トップ野球少年の郷第44回
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第四章 墨谷高等学校 谷口二年生編(プレイボール 八〜一八巻)−3

※墨谷高×川北商業高(練習試合)球場=川北商グラウンド

 墨 谷 000 000 002=2
 川北商 900 000 00X=9
  勝=小野田 負=中山

 強豪、川北商との練習試合。墨高は川北商の次期エース、小野田の速球に手も足も出ず、逆に先発の中山は早々と川北商打線につかまり、初回に大量失点をしてしまった。しかしリリーフした谷口はフォークを投げられないものの見事なコントロールで川北商打線を封じ込め、逆に九回表、墨高得意の粘りの攻撃で小野田から二点をもぎ取った。
 スコア上では完敗だったが、それ以上に墨高が自信をつけた一戦となった。

 〈検証〉川北商との練習試合

 部員が一〇人になり、ポジションが決まった墨高は、倉橋の先輩がキャプテンをやっている川北商業と練習試合を行った。ちなみにこの川北商、倉橋は「川北高」と言ったのだが、なぜか谷口は「川北商業」と言ってしまい、どちらが正しいかは正確にはわからないが、倉橋は訂正もせず「そうだよ」と言っているので(プ八巻一三八頁)、「川北高」とは「川北商業」のことと認定する。

 川北商は「甲子園にちょくちょく足をはこぶ」(プ八巻一三八頁)強豪校で、この年の夏は地方大会の準決勝に進出した(プ八巻一九三頁)。ただ、どの都道府県の高校かは不明。グラウンドは市川にあるのだから(プ八巻一五四頁)多分千葉県なのだろうが、学校も千葉県にあるとは限らない。ただ、墨高ナインが川北商の成績を詳しく知らないところを見ると、千葉県の高校かも知れない。

 川北商キャプテンでエースの田淵は倉橋と同じ隅田中出身だが、川北商には隅田中出身者が結構多いらしい。倉橋も墨高野球部を一度退部したあと、どうやら川北商で硬式の練習をしていたようだ(プ八巻一〇七頁)。倉橋は川北商に誘われなかったのだろうか。なにしろ中学時代は地区随一の捕手である。川北商は喉から手が出るほど欲しかっただろう。倉橋は普通科の高校に行きたかったのかも知れないが。

 試合はビジターの墨高が先攻で始まった(プ八巻一八三頁)。川北商の先発はエースの田淵ではなく、次期エース候補の小野田。田淵は明らかに三年生なのだから登板しないのは当然だが、川北商はまだ新チームに移行していないのだろうか。秋季大会もあるだろうに。

 小野田はアンダースローだが、田淵を上回る速球投手だ(プ八巻一九三頁)。元阪急の山田久志のような下手投げの本格派というところか。ただ、シンカーのような落ちる球は無いようで、ホップする速球とカーブが武器だ(プ八巻一六二頁)。墨高も夏の大会では東実の本格派左腕・中尾をメッタ打ちにしたが、アンダースローの速球を打つのは初めてだったのだろう。小野田の前に手も足も出なかった。もちろん、谷口や倉橋もである。アンダースローの体感速度はオーバースローよりも五キロ増しと言われる。

 一方の墨高の先発は、指の手術が終わって間もない谷口ではなく中山(プ九巻一〇頁)。しかし中山が川北商打線に通用するはずもなく、たちまち連打を浴びて初回一死を取っただけで谷口とスイッチ。肩の故障から癒えたばかりの谷口はフォークを投げられず、やはり連打に遭った。しかしその連打の内容は、中山が投手の時と明らかに違った。川北商打線の強打対策で外野がかなり深く守っていたのだが、谷口が投げると打ってもみんな詰まってしまい、定位置だと楽々捕れる打球がみんな前に落ちてしまうのだ(プ九巻七五頁)。それに気付いた倉橋は外野を定位置より前に守らせ、ピンチを凌いだ。

 初回以降は、川北商打線は完全に沈黙してしまった。そこには倉橋の好リードがあった。倉橋は川北商の打者の弱点を知っていた。もっとも、四番の小林の弱点は、第一打席では外角高めだったのに(プ九巻三〇頁)、第二打席では内角高めになっていたのだが……(プ九巻七八頁)。

 もちろん、倉橋の要求通りに投げる谷口のコントロールも圧巻だった。これには倉橋も舌を巻いた(プ九巻六八頁)。ボール半分の単位で出し入れをしていた、全盛期の江夏豊のようなコントロールである。初回に大量の九失点を喫した墨高も、谷口の好投で以降は川北商をゼロ行進させた。

 九―〇と川北商リードで迎えた九回表、墨高最後の攻撃。なんとか一点欲しい墨高だったが、小野田も完封に燃えていた。ホップする球になんとか慣れてきた墨高打線に対し、さらにそれを上回るホップで先頭の太田を三振に打ち取った(プ九巻一六四頁)。

 しかし山口がサードエラーで出塁すると(プ九巻一七〇頁)、この日四番に入った倉橋が小野田の心の隙を突き、意表をつくバントエンドランで小野田の悪送球を誘った(プ九巻一八〇頁)。
 次の五番の谷口はなんとスリーバントスクイズ(プ九巻一九二頁)。他の章でも散々指摘しているように、この場面でのスクイズは絶対にありえないのだが、この試合は練習試合だし、墨高は川北商から一点がなんとしても欲しかったのだから、まあいいだろう。ただ、谷口がスクイズを選択した理由の一つに、ダブルプレーの危険が少ない、と考えているが(プ九巻一九二頁)、この場面は一死二、三塁なのだから打っても併殺の危険は少ないのだが……。
 一点を取られてカッカした小野田はコントロールが狂い、六番の中山に死球を与えてしまう(プ一〇巻一二頁)。しかも頭部直撃だから、現在のプロ野球なら危険球退場になるところだ。さらに頭部直撃の中山が盗塁をするというムチャをするがこれもまんまとハマって二死二、三塁と追加点のチャンス(プ一〇巻一八頁)。
 このチャンスに七番横井はセンターへポテンヒットで二点目(プ一〇巻二五頁)。動揺のため小野田の球威は明らかに落ちていた。八番の戸室が「なんだか打つのがきのどくみたいだぜ」と言っているぐらいだ(プ一〇巻三〇頁)。

 その戸室が打ったのは左中間への大飛球。抜ければあと一、二点というところだったが、センターの大ファインプレーによって試合は終了した(プ一〇巻三七頁)。
 二―九で完敗した墨高だったが、後半の試合内容は明らかに墨高が押しまくっており、墨高にとっては自信をつける一戦となった。

 そしてそれ以上に大きかったのは、参謀格の倉橋が墨高、そして谷口の真の姿を知ったことだろう。
 倉橋が川北商との練習試合を組んだのは、単に先輩が川北商のキャプテンをやっていたからだけではなく、墨高ナインが東実と好勝負を演じたためにいい気になっていると感じたからだ(プ八巻一八六頁)。あの試合では谷口がたまたま指が曲がったままのためフォークを投げられるようになったから、東実といい試合をすることができたと倉橋は思っていた。だから墨高ナインの頭を冷やすために、川北商との練習試合を組んだ。

 しかし試合中、そうではないと倉橋は気付く。あまりに力の差がある川北商に対して、谷口は一所懸命ナインに指示を与え、すぐムキになる姿を見て、東実をあれだけ苦しめたのは谷口一人の力ではなく、一途に勝負に挑む谷口の姿を見てナインが奮起するからだ、とわかった(プ九巻一二五頁)。谷口の技量そのものよりも、チームを無言のうちに引っ張る力、そこに倉橋は谷口の凄さを見たのだ。

 川北商キャプテンの田淵は、谷口と倉橋のバッテリーはいずれ無視できない存在になる、と予言している(プ一〇巻四二頁)。

 ん?ということは、川北商はやはり東京都の高校か?あるいは、甲子園で激突すると考えているのかも……。

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